2011年3月18日金曜日

地震酔い

・・・
視覚情報と平衡感覚とのズレが原因だ。
ストレスも一因といい、
専門家は「不安を和らげることが大切」という。
(朝日新聞)

この人の身体にさえ悪影響を及ぼす現象は
キリスト者に対しては、今さらに大きいと私は思います。
それは実に惜しいことです。

何故なら
キリスト者でさえ、否キリスト者であればこそ
(放射能よりもはるかに恐ろしい)「今この世にただよう
ある空気」(地下からの煙)を吸い込むならば

実に不思議なことに、
キリスト者の霊はたちまち弱められてしまい、
キリスト者に課せられた、キリスト者だけに可能な、
最も尊く効果的な、
人々のための、日本のための奉仕である祈り、
その祈りへの意欲そのものが、逆に
奪われ、どこかに行ってしまうからです。

従って私達が
テレビや、さまざま人々からの雑多な情報の渦に
多くの時間、埋もれ、まかれてしまうことは
とても残念であり、危険なことであると言うべきでしょう。

私にとって今大切なことは、
自分に可能な「みことばと祈り」の為の一定時間を確保し
むしろ淡々粛々(しゅくしゅく)として、
あたかも「何事も起っていない」かのごとくに、人としての
基本的な日々の日常生活を、堅実に送ることではないでしょうか。



情報とは「私の意志が主のために主体的に知る」ものであり、
当然「私の総て」が情報に引き込まれ、吸い込まれ、
飲み込まれるべきものではないはずです。

そして「そのボーダーライン」がどこにあるかは
ただキリスト者の霊だけが「あの悪しき者」の意図を主体的に、
そして密かに「見る」ときに初めて知ることが出来るものです。

そのようにして私の霊が、私に危険を告げる時に、
私がその場から速やかに身を引き、直ちに「神の高所」に
かけ上らなければ「その津波」は私をたちまちどこかに
連れ去ってしまうことでしょう。

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