2010年7月9日金曜日

十字架の釘跡(くぎあと)

今私たちの手に
十字架の釘跡がどれだけあるでしょうか。
十字架の釘跡がなければ、
聖霊の注ぎ油はあり得ません。

主イエスの死とは実は 
「アダムにある総ての人」に対する神の判断と結論です。
それは即ち 
「文句なしに 総てのものは死ななければならない」
ということです。

ですから どうしても
神は 主イエスが死なれるまで
待たなければなりませんでした。
その死を見届けられた後で
神は初めて聖霊を遣(つかわ)すことが出来たのです。

従って
私達の経験における「聖霊の満たし」もやはり 
私たちが明確に十字架を担(にな)った後に
やって来なければなりません。

それ故
こんにちの私たちの生活とは 神の手から
十字架の釘跡をいただく為の日々である筈です。
そのためにはまず 今日この日 私の心が
他のものにではなく 
真にキリストと彼の十字架に向かっていなければ
ならないのです。

あなたが そのような心を持つならば間もなく
他の人々とあなたの環境が
あなたを「キリストの十字架」に付けに来ることでしょう。
それこそが「日々のあなたの十字架」に他なりません。
(先人の言葉より)


「これは・・私のための聖なる塗り油となる。
それを人の肉に注いではならない。」
(出エジプト30の31~32)

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