2010年4月16日金曜日

キリストによって自己を確立する

キリスト者が常に目の前に
神とサタンの二者を置くことはよいことです。
そして
神には「しかり」(YES)と言い、
サタンには ハッキリ「否」(イナ、NO)と言うのです。
この後者への「イナ!」はきわめて重要です。

ところが
キリスト者は信仰や従順という美しいフレーズのもとで
つい「フニャフニャ」になり、自分の意志や思いさえも
放棄し、総てを受け入れると いつの間にか
悪霊や人間の支配に陥(おちい)ります。
これが多くの今日のキリスト者達の光景です。
今「あなたはどこにあるのですか?」(創世記3の9)

しかし、私たちはそうであってはなりません。
キリスト者はキリストによって
断固 自己を確立するべきです。

キリスト者の意志は
神の御心(意志)との調和の中で
まずは自分の思いと感情そして体を支配し、更には
万物(地をはうものさえも)支配しなければなりません。
それこそが正に 神が当初から意図された人間像です。

御ことばにもあります:
神は人を彼のイメージに創造された。・・
「地を這(は)う総てのものを支配させよう。」
(創世記1章)

注:
私たちが 自己をキリストの死に渡(わた)して
①「自己を失う」目的は 墓の向こう側において、
すなわち 復活の領域(りょういき)において
真に自己を確立するためです。

ウソと言う毒を受け入れ②「自己を失い」ヘビの死(神から切り離す)に
浸透(しんとう)されてしまったアダム(私達)は どうしても
最後のアダム(イエス)の中で「絶対的な死」を通過する必要があります。
①と②の「自己を失う」には 正に天と地の相違があるのです。

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