2010年3月4日木曜日

十字架を経(へ)ていない霊は危険です

よく「教会」や本で言われる、御霊によって歩むというのも、
結局は十字架と復活が無ければ
絵空事(えそらごと)の様な気がしますがどうでしょうか。


言われるとおりです。父なる神は
御子キリストの「十字架と聖霊の一つ」
の中で働かれるのであり、
聖霊と十字架を切り離すことは全く不可能です。
(以上の中に「三で一の神」の一つの働きが見られます)

すなわち、
①十字架は人を復活のなかの聖霊に導き、
②その聖霊は間違いなく再度 人を十字架にもたらすのです。
神は この①②による「上下の循環(じゅんかん)」によってだけ、
人に対する働きかけをしているのであり、例外はあり得ません。

もしも今日 この循環の外にある「超自然的な不思議」がある
とすれば それは聖霊ではない「別の霊」の働きによるものです。
人が真に死(十字架)を経過(けいか)したかどうかは その働きが
聖霊か悪霊かの識別(しきべつ)に有効(ゆうこう)です。

人の耳目(じもく)をひきつけ「感動」させる
不思議な能力、未来の予知、いやし、夢、幻、恍惚感(こうこつかん)、
熱狂、「第三の天」の超越(ちょうえつ)した経験、さまざまな
パフォーマンス、ある種の霊のバプテスマ等「光の天使」の働きのように
見える現象(げんしょう)に キリスト者は十分警戒(けいかい)するべき
であり、私達はそのような経験を あまり有難(ありがた)がる
べきではありません。なぜなら それらの不思議は
悪霊達にも十分可能であるからです。

間違いなく
この傾向(けいこう)は今後 徐々にエスカレートし そのターゲットは
むしろ真のキリスト者達に向けられるでしょう。今もう始まっている
その巧妙(こうみょう)な「だまし」は 反キリストの「よみがえり」等を
最終章とし、そのピークの雰囲気(ふんいき)の中で、全世界はこぞって
「物を言う彼の偶像」をさえ 伏(ふ)し拝むでしょう。(黙示録13章)

私達は今シッカリと、ただ十字架の中にふみ留(とど)まり、今
既に始まっているこのような暗黒の潮流(ちょうりゅう)に抵抗して
立ち上がるべきです。確かに 私達を守るただ一つの神の
備(そな)えは キリストの十字架以外にはあり得ないからです。

6 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

今まで私は人の霊的体験の証などを聞いては、うらやましいと思ったり、その真似事で霊的になろうと思ったり、清くなろうと思ったり・・・。

昨日、妻と話をしていて、霊的体験の証って、他者の何の役にも立たないねって話したところでした。

証は他者の益になるもので、吟味しなければならないと思いました。

オテモヤン さんのコメント...
このコメントはブログの管理者によって削除されました。
Mr.Sugar さんのコメント...

yasu さん、感謝です。

私の観察では
このことにおける 敵の策略は
もう既に 多くの真のキリスト者をも
そうとう部分 侵害している
と言わざるを得ないでしょう。

私達の戦いは 
絶対的に人ではありません。

武州乃鳩 さんのコメント...

アーメン。「十字架の死と復活」にない超自然は「敵の欺き」に他なりません。

難しいところは「偽2万円札」がないように、本物がある故の偽物、というところと思います...。

「本物」は、使徒パウロのように多くを語らず、人格において、対人関係において、働きにおいて、「実」によって証明するでしょう。

Mr.Sugar さんのコメント...

嬉しいコメントです。

「人格において、対人関係において、働きにおいて「実」によって証明するでしょう。」

これは命の法則ですし、明らかな
聖書の主張です。
私達はこの事実の前にたたずむべきです。

エシュコル さんのコメント...

いつも確認をさせていただき、有り難う御座いますm(__)m