※じるしの部分(前の記事)の説明です。
神が既に達成、完成していることなので、
私達にも実現可能(じつげんかのう)なのです。
神が2千年前「永遠のゴルゴタで」達成したことを 私達は
時空の「いたるところで」達成し証明(しょうめい)するのです。
それが信者の使命(しめい)です。
ぎゃくに もしも事実がないのであれば当然
証明できるはずがありません。既にそこに無いのであれば
どう信じたとて実現は不可能です。
ですから 私達一人一人が、何が真に「神による事実」であるのか、
「神が既に何を完成されたのか」を霊の中に 神によって
示して(啓示して)いただくことはどうしても必要です。
神の啓示 これが最大の前提(ぜんてい)となります。
そこにこそ、
私達が聖書を一字一句 真剣(しんけん)に
読まなければならない理由があるのです。
それは「神の完成」を自分の目でシッカリと見るためです。
3 件のコメント:
お早うございます
今回主人の入院のことで
神様の栄光を現すには神様を
常に目の前に置かなければ
現実を見て可愛そうの祈りに
成ってしまう事に気がつきました
只主を信じて委ねて行く信仰
何と心が楽な事でしょう
奇跡が起きました
感謝します
その奇跡とは頭の中の働きが
出来ない状態なのですが
復活したのです
レントゲンではそのように
写っているのです
脳外科の先生も始めての経験と言っておりました
主に栄光帰します
すばらしいです。
それは主ですね。
あしたこの証をブログに
のせたいと思っております。
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