2009年12月23日水曜日

事実の等級

ここに 二種類の事実があります。
一つは 私たちが「毎日 見聞きする
五感や理性で知るこの世界の事実」であり、
もう一つは「見えない」世界の事実です。

この両者の内、どちらの方が「リアル感」に優れているかと言えば
それは間違いなくこの世界の事実でしょう。
にもかかわらず、どうしてキリスト者は一見 
「とてつもない」と見える いわゆる「見えない」事実の方に 
軍配を上げるのでしょうか。

それは 後者の事実と前者の事実では 同じ事実ではあっても
その両事実の「レベル、等級」が格段に違うからです。
それは格段の差がある と言うだけでは足りません。
「後者の事実の優位性」は「無限に高い」とでも言うしかないのです。
それは比較にならないのです。

あまりにも単純に
「事実であればその価値は決まる、事実であれば問題ない」
と言うわけには行きません。
「事実の世界」には明らかに等級、レベルの差があるからです。
従って「事実」と言われるものには
その事実の等級、レベルを冠せられねばならない筈です。

私達は ある「事実」を信じ、
特に それに「自分の永遠を賭けよう」とするような場合、先ずは、
その事実の等級、レベルの「ラベル」を
よくよく吟味する必要があるのです。

1 件のコメント:

Willie Yanaka さんのコメント...

初めまして。

Steven Kaung のメッセージは以下でも聞けますよ。

http://www.christiantapeministry.com/