2009年9月23日水曜日

神のことば=エクレシア

使徒行伝を見ると
「こうして神の言葉は、ますます成長し」
「主のみ言葉は、ますます盛んになり広まっていった」
「こうして、主の言葉は驚くほど広まり、ますます力強くなって
行った」などの記述が、この書の要所要所に見られます。
昨日の「交わり」の場合のように ここにおいても「神の言葉」や
「主の言葉」の所に「エクレシア」をはめ込むことが可能のようです。

それでは、この「神の言葉」とは具体的には何でしょう。
それは 今日私達が見聞きする聖書やメッセージのようなもの
でないことは明らかです。当時一般の兄弟姉妹の手の中には
旧約聖書さえなく、当然 新約聖書はまだ存在しませんでした。
それではその無数の広がりを見せた主の言葉とは具体的には
何なのでしょう。それは一般の兄弟姉妹の日々の生活の中に存在した
無数の「交わりの言葉」以外の何ものでもないと思われます。

従って その当時「広まって行ったもの」と言うのは「エクレシア」
なのであり、実際的には「交わり」の中の「神の言葉」であったのです。
エクレシアの実質とは「今日の不思議な天地におられるキリスト
そのお方」であり、そのキリストは具体的には 普通の兄弟姉妹達
による「交わり」の中の「神の言葉」として生き生きと表現されたのです。
それこそがキリストのからだ、エクレシアの実際的な時空への表れです。

当時、神の国 即ち「王キリストの聖なる支配の領域」は
名も無き無数の兄弟姉妹間の交わりの中の神の言葉として
「日々成長し、驚くほど広まり、力強くなって行った」と思われます。

0 件のコメント: