パソコン、今、たまたま動いています。
間もなく、また だめになるでしょう。
*
今完全に、マルシア夫妻の、
生後6ケ月の愛莉チャン中心の生活を送っています。
今日は 彼女とグリーンパークの子馬を見に行きましょう。
「まだ罪と自分を知らない存在」が現に本当ここにいる、
という小さな驚き。
彼女は 罪を犯さない、ではなく
罪とは何かを根本的に知らない、
自己を抑えるではなく「自分」という意識が根本的にない。
彼女には 自分とあなたの境界がないから
彼女に触れる一瞬だけ、私も赤ちゃんにされる至福。
私もこのようなお方・イエスを写したい。
そのようなお方が 現に本当に私の中におられるから。
2 件のコメント:
まさに「幼子のようにならなければ・・・」ですね。
私とキリストとの境界線がなくなり、一体感を一体感などと表現して意識することもないほどに溶かされますように。
私たちのエクレシアにおけるひとつが、小さな交わりの中で、そのような体験を「感覚的にも」もたらされることを願います。
また、お会いできる日を楽しみに・・・
アーメン、その通りです。
至るところで「感覚的に」知れ得る一つが
現されなければ
どうして人々がここが「そこ」だと
知ることが出来るでしょうか。
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