2009年7月18日土曜日

「婦人の頭のおおい」と感情

使徒パウロは、総て女の人は祈ったり預言をしたりするとき、
頭におおいをかけなければならない、と言いました。これは一体
何でしょう。この事については人々の様々な説明や見方があります。
どの解釈が正しいのか、今ここで決めようとは思いませんが、
一つのことは明らかだと思います。

その意図は一つに「感情の働きを阻むこと」です。彼は人の生来の感情
から出てくる一切を完全に覆ってしまいたかったのです。特に婦人が
宣べ伝えたり祈ったりする時、容易に人々の感情を刺激してしまう
傾向があります。おおいと言うものは身体的に言えば、頭を覆う
だけでよいのですが、これを霊的に見るなら、その目的は「感情に
属する総てのもの」を完全に覆ってしまうこと、即ち「感情を死に
渡す」ことです。これは十字架です。

聖書では男は頭をおおいなさい、とは言われていませんが、
霊的な意味では 兄弟達も同様にやはり頭、即ち「思い」のみならず
感情をもおおう必要があるのです。

このことから、感情というものは 神の働きにおいて、容易に表に現れて
しまうやっかいなものである、ことを見ることが出来るでしょう。それを
より詳しく言うならば、キリスト者は総て、私達の魂にある感情の命、即ち
「感情を動かす生まれながらのエネルギー」を完全にキリストの死に渡す
必要がある、と言うことです。

さもなければ、聖霊は私達において、私達の魂の一機能(感情)を
神の器として自由に使用することが出来ないでしょう。
私達の生きる力の総ては完全にただ聖霊から来なければなりません。
本来キリスト者の生きる力即ち「命」は私達天然の人の中に存在する
はずがありません。聖霊にある「キリストこそが私達の命」でなければ
ならないのです。ただキリストだけが私達の総ての力です。

☆    ☆
ここで言う「預言」とは未来についての予告のみでなく
「神のために立って語ること」を意味しているでしょう。

3 件のコメント:

鷲のように翼を張って さんのコメント...
このコメントはブログの管理者によって削除されました。
鷲のように翼を張って さんのコメント...

日本のお嫁さんの衣装で、頭にかぶる白いものを”角隠し”と呼びますよね。昔からのしきたりというんでしょうか、知恵は的をえていますね。私は職場でよく怒ります!あたまに来ることって結構多いんです。「最近最も怒ったこと」とか言うテレビの番組のコーナーがあるのを思い出しました。日本中の人がこの”怒り”を溜め込んでいるように思います。理性的な男性を見ると”ホッ”とします。心が広いな~^^。でも、男性でも怒りやすい人はいますよ。「男は怒らず、どんなときでも聖い手をあげていのれ」とも書かれていますしね。「敵を愛する」キリストの愛をいただきたいものです。

Mr.Sugar さんのコメント...

なるほど、「頭にくる」ねー。

そうすれば 感情も頭なんだ。

よいことを聞きました。