2009年7月14日火曜日

霊の働きと感情

別のところでも強調したことですが、ただ霊だけが
「霊の働き」をすることが出来ます。総て他の働きは
霊的には何らの価値もありません。

今日、人々は人の心理に多くの注意を払っています。主の働き人
の中にも熱心に心理学を学んでいる人がいます。もしも 自分の
メッセージが人々の心理に受け入れられるなら、多くの人を捕らえて 
彼らを主にもたらすことが出来ると思っているのでしょう。しかし
この心理というものは所詮人の感情の作用です。感情に頼ることは
全く霊的な意義はありません。

私達は、人の最大の必要は再生、霊の中の再生であることを
知っています。ですから、もし人の死んだ霊が生かされ「非受造の命」
(創造されたことのない神の命)にあずかり 再生された霊に、聖霊を
内住させることが出来ないなら、どんな働きも全く役に立ちません。
もし信者の働きの目的が、命を他の人に分け与えることでなければ、
その宣べ伝えの結果は、人に悪魔を拝むように勧めるのと少しも
違いがありません。心理学は人に命を得させることは出来ません。
聖霊御自身が働くのでなければ、一切はむなしいのです。

感情は完全に天然に属するものであり、それは神の命を源とする
ものではない と言うことを信者は認識しなければなりません。
どうか私達が、感情には「全く神の命はない」ことを 
本当に知ることが出来ますように!

ですから、涙を流すとか、悲しい顔をするとか、或いは声を出して
泣くなどして、感情の力を用い、人を救おうと考えてはなりません。
総ての感情の働きは「人の暗くされた死せる霊」に対しては、どんな
方法をもってしても いかなる影響も与えることは出来ないのです。

聖霊が人に命を与えるのでなければ 誰も命を受けることは出来ません。
もしも私達が聖霊に頼らないで感情に頼るのであれば、私達の働きは
総てむなしいものとなり、真の価値ある効果は全く期待出来ないのです。
感情は決して人に命を与えることは出来ません。主のために働く人は
ハッキリと見なければなりません、もしも自分に頼るならば、
人の中に神の命を生み出すことなど全く出来ないと言うことを。

*Sugar 私見:
「感情」の総論の中の「霊の働きと感情」に入りました。
この部分の紹介は多分あと2、3回を要するでしょう。

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