2009年7月10日金曜日

感覚の生活と本分

キリスト者が「感覚的生活」によって支配されている時、
彼は他の人々に対して果たすべき彼本来の本分をなおざりにする
かも知れません。なぜなら感覚の生活は自己を中心とするからです。
そういうキリスト者が人々(キリスト者と他の人々)の必要に
真に心を留めることはないでしょう。

信者は感覚ではなく、信仰と意志を用いて自分の本分を果たさなければ
なりません。本分を果たす責任は感覚にはよりません。他の人に対する
私達の本分は定まっていますし、自分自身の働きに対する本分も定まって
います。それは確固としたものであり神によるのです。それらは決して、
感覚によって軽々に変わるものではありません。本分とは「原則に
従って」成し遂げられるべきものであり、それは私達がどの様に感じるか
によって変化する事はあり得ません。

感覚によって支配されているキリスト者は、もし彼の主との
交わりが非常に幸いならば、そのような時間を深く愛します。
彼が一旦、楽しい感覚の中で幸せを経験する時、彼の最大の望みは、
出来るならいつも主と共にいて、自分の周りの他の事柄をあまり
顧みることなく、一日中その幸いの中にいることです。
そのようなキリスト者は、出て行って働くことを好みません。何故なら
世に出て行くならば、さまざまな誘惑と困難が避けられないからです。

彼が主と顔を合わせている時、自分が聖く勝利であると感じます。しかし
いったん自分自身の本分を果たすために出て行くなら、彼は以前のように
敗北し、自分が汚れていることに直面しなければなりません。それは彼に
とっては非常に辛いことです。彼は自分の本分を「世的なもの」のように
考え、聖くて勝利を得た自分が関心を持つことではない、と考えるのかも
知れません。ですから、主との交わりを持つ時と場所は
非常に大切にするのですが、彼の幸いを妨げる彼の本分に対する
責任はおろそかにしてしまうのです。

もしもこれが実際の親ならば、そのような親は子供を養育することが
出来ません。まともな親であれば 育児を楽しいとか楽しくないとかの
感覚でするわけではありません。(親は育児の喜びを感じることが
ないと言っているのではありません)同様に、感覚的なキリスト者も、
主に忠実に仕えることは難しいのです。彼らは内心 これらのことは
世的で些細な事に過ぎないのであり、自分は霊的で素晴らしい
ものを追及しているのだから、自分の様な者が関心を持つ必要は
ないとするのです。これは極めて大きな誤解です。


この理由は、彼はまだ十分「信仰によって」生活していない
ことによります。彼はまだ煩雑な日常生活においては、神との
結合の中にいないのです。

だから彼は隔離された特別な時間と場所の中で神と交わることが
出来るだけです。彼は「総てのことで、24時間」主の臨在感覚が
あろうとなかろうと、ただ信仰によって見えない主を仰ぎ望み、
主と共に働くことをまだ学んでいません。彼は普通のわずらわしい
人間生活の中で、どのようにして主との結合の中にあるべきかを
まだ知らないのです。彼が神を経験する範囲は、
ただ感覚の中に制限されています。

ですから、彼は山に留まり一人長い間、主と共に住むことは喜びますが、
山から下りて来て(人間生活の中の)悪鬼を追い出したくはないのです。


Sugar 私見:
先回までの掲載は先人による「感情に関する総論」の一部でした。
総論の後は 愛情、欲望、感覚の生活、信仰の生活、という各論に
移ります。今日の紹介は その中の「感覚の生活」の小さな部分です。

簡単に述べられた「事実→信仰→経験」に関するメッセージはよく
耳にもし、私達も「分かった積もり」になり勝ちなのですが、実は
それは「極めて大きな森」のような巨大なテーマであることが
分かります。その一部でさえ安易に入り込むことは出来ません。
感情や感覚と言う、実際生活で扱う段になると非常に難しい問題も、
この巨大テーマのごく一部に過ぎません。

また、この森に入り込むには常に「全体と詳細部分」を見わける目を、
即ち全体を部分から、部分を全体から見る目を失うことがないように
細心の注意深さが必要のようです。

2 件のコメント:

鷲のように翼を張って さんのコメント...

先人の教えの転載を感謝します。
まさに、今のわたしへの主からのメッセージでした。生活の煩いのために、キリスト者としてゆだねられたすばらしい新創造という神の働きをないがしろにしていました。感情を野放しにしておくと、神の思いに心を向けることができません。当然、キリストの命も喜びも信仰もすっかり消え去ったかのようです。主は生きておられますね。いつも私の右におられ、危ういところから本来歩むべきへと導いてくださいました。サタンはどうしても神の御心が地になされるのを阻みたいようですが、そうは問屋が卸しませんよ!今の異常な国、日本。主の栄光があらわされるために「主の御心を行わせてください」と静まって主に聞き、信仰に堅くたたなければなりません。

Mr.Sugar さんのコメント...

アーメンです。

私も「鷲翼さん」と似たような状況にある
自分を見せられております。
感謝です。
共に前進したいです。