この世界には至る所、諸々の悪がはびこっていますが、
その大元は人ではなく、サタンです。従って先ず、サタンが
糾弾されなければならない、と言うのは極めて当然の道理です。
世間の人々はサタンは架空の生き物であると「言って」おり、
またサタンについて はなはだしく誤解しております。従って
彼らがサタンを正しく糾弾することは当然不可能です。(彼ら
でさえ心からサタンの存在を否定しているとは考えられませんが)
ですから、正しく効果的に
サタンを糾弾する可能性があるのはキリスト者以外には
あり得ません。(しかし今日キリスト者とて、サタンを
「真剣に」糾弾しているか、となるとそれは大いに疑問です。)
*
この世界のことを見ても、
事の始めに、即ち実力行使する前に「悪人」は先ず
冷静な正しい情報に基づいて その悪人の悪を非難する多くの声
によってしっかりと糾弾されなければなりません。
第一に悪の存在に気づき、そして誰かが勇気をもってそれに対して
非難の声を上げ、その糾弾が少しずつ大きくなり、それが極めて大きく
なると、遂にその糾弾の「声」に引っ張り出されて、その悪者が
正体を現わさざるを得なくなるのです。そこまで来ると
正体を現した「悪人」は破れかぶれになって、
全力で彼の悪の限りを尽くすことでしょう。
しかしハレルヤ!
それは彼が現行犯逮捕される絶好のチャンスとなるのです。
そのようにしてサタンは初めて「偉大なる警察力」によって天から
追放され、のみならず「千年間」拘置、監禁されることになります。
(しかし、その後も話は続きます)
*
今この時代
以上述べた糾弾する役目はおもに、キリスト者にあります。
(神と天使のメインの役割は別にあります。)明らかに神の定めは、
サタンに対する糾弾は私達、多くの「弱き庶民」、神の乳飲み子、みどり児
の口によって行われなければならない、と言うことです。(詩篇8篇)
それは、あのバプテスマのヨハネの場合と似ています。彼は荒野(この世)
で悪に対して叫ぶ「声」でした。(ヨハネ1の23)、声とは目には見えず
実に軽いものです。しかし、霊的な世界においては、声ほど重く強力な
ものはありません。ヨハネの「糾弾する声の総和」がある一定量に
達した時、遂にヘロデが引っ張りだされ、ヘロデはヨハネの首を
切らざるを得なくなってしまったのです。昔も今も
これが「真の殉教」が発生する経過(メカニズム?)なのです。
従って、
これは決してヨハネの悲劇などではなく、ヘロデが破滅に至る物語です。
ヘロデは崩壊し、ヨハネは何とキリストを世界に紹介したのです。
これは何たる差異でしょうか。
今のこの時代、
キリストが再びこの世に到来するために必要な唯一のことも全く同様です。
それは、たとえ首を切られようとも、歴代のキリスト者達に続き、私達も、
サタンを糾弾する真理の「声」を、それの総和がある一定量に達するまで、
忍耐強く発し続けること、に他なりません。何故なら総ては、
正しい糾弾から始まるからです。
*
以上の総ての描写は、実のところ私ではなく聖書です。
かように、この世の悪の一掃に関しては、
キリスト者が先ずは真剣に、サタンを知り、サタンを糾弾することが
もしないとするならば「何事も始まらない」ことは明らかです。
従って
私達に、悪とサタンについての神の真理が
明らかに啓示されることは何と必要なことでしょう。
2 件のコメント:
おはようございます。
励まされました。
オカルト・ニューエイジの、霊的背景について、つながりのあるキリスト者の方々に、またブログ等で伝え始めたところでした。
届く人には届く、拒む人は離れていく、という感じですが、「声」を出し続けていきます。
感謝します。
鳩さん、有難う。
共に戦って行きましょう。
その内 お会いして祈りあえたら
嬉しいです。
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