2009年5月9日土曜日

自責の念 対 キリストの血(1)

*真理は悲しみに打ち勝つ5*

ここに神のことば・即ち「真理」があります。
「もし、私達が自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、
その罪を赦し、総ての悪から私達をきよめて下さいます。」
(Ⅰヨハネ1の9)

さて、ここに述べられている罪のきよめの為の条件は何でしょうか。
それは唯一「自分の罪を言い表すならば」です。
誰に対して、でしょうか。それは明確に神に対してです。
これが真理です。

しかしもしも、子供がまだ死んでおらず、あなたの目の前にいるのであれば、
直接一言「ごめんね」と言えばよいでしょう。何も長々と、小説の描写
のように述べ立てる必要はありません。彼もそれが何であるのか、すぐに
分かるでしょう。だから、一言「あの事、ごめんなさい」と
言えばそれでよいのです。


しかし彼がこの世にいない場合はどうでしょう。
その場合あなたは、あの世にいる彼に向かって決して謝ってはなりません。
その理由については後で述べることになるでしょう。

もしもあなたがそうするならば、霊的にあなたは大きな失敗を
することになります。あなたがパラダイスにいる息子に涙の中で罪の
告白をする時、あなたはある種の心地よさと甘さを感じるかも知れません。
しかしながら、あなたはそれを決して行ってはなりません。

もしもそれをするならば、真理はあなたの味方になることはないでしょう。
従ってそれ以後、真理が、あなたに降りかかる敵からの多くの邪悪な
諸感覚を退けることが困難になるかも知れません。
それはとても重大な問題です。

「何が真理であり、何が真理でないのか」そのしゅん別は極めて大切です。
あなたは明確に真理の側にシッカリと立つ必要があるのです。
あなたは「唯、神に向かって」あなたの罪を言い表すべきです。
それが真理です。


あなたが、そうするならば、その結果はどうでしょう。それは
「神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、総ての悪から
あなたをきよめて下さるのです。」

その神の赦しの根拠は、神の太っ腹ではなく、唯一キリストの血です。
あなたの多くのとても重い罪のための弁償代金・キリストの血は、
もう既に充分な額として支払われました。その支払いの相手は
「神の義の要求」です。あなたの罪がいくら重く、高いとしても、
神の子、キリストの血の値は無限です。ですから、あなたの罪の為の
弁償代金としては、それは際限が無いほどの「有り余る金額」なのです。
それは必要額を遥かに超えるのです。従って神の義の要求は既に
完全過ぎるほどに満たされているのです。

キリストの血の代価によって満足されたのは先ず神です。ですから、
神には全く問題はありません。ですから、あなたはただその「神の御血に
対する評価」を受け入れればよいのです。即ち、神のことばを信じ
受け入れること、これがただ一つの条件です。

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