*真理は悲しみに打ち勝つ5*
ここに神のことば・即ち「真理」があります。
「もし、私達が自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、
その罪を赦し、総ての悪から私達をきよめて下さいます。」
(Ⅰヨハネ1の9)
さて、ここに述べられている罪のきよめの為の条件は何でしょうか。
それは唯一「自分の罪を言い表すならば」です。
誰に対して、でしょうか。それは明確に神に対してです。
これが真理です。
しかしもしも、子供がまだ死んでおらず、あなたの目の前にいるのであれば、
直接一言「ごめんね」と言えばよいでしょう。何も長々と、小説の描写
のように述べ立てる必要はありません。彼もそれが何であるのか、すぐに
分かるでしょう。だから、一言「あの事、ごめんなさい」と
言えばそれでよいのです。
*
しかし彼がこの世にいない場合はどうでしょう。
その場合あなたは、あの世にいる彼に向かって決して謝ってはなりません。
その理由については後で述べることになるでしょう。
もしもあなたがそうするならば、霊的にあなたは大きな失敗を
することになります。あなたがパラダイスにいる息子に涙の中で罪の
告白をする時、あなたはある種の心地よさと甘さを感じるかも知れません。
しかしながら、あなたはそれを決して行ってはなりません。
もしもそれをするならば、真理はあなたの味方になることはないでしょう。
従ってそれ以後、真理が、あなたに降りかかる敵からの多くの邪悪な
諸感覚を退けることが困難になるかも知れません。
それはとても重大な問題です。
「何が真理であり、何が真理でないのか」そのしゅん別は極めて大切です。
あなたは明確に真理の側にシッカリと立つ必要があるのです。
あなたは「唯、神に向かって」あなたの罪を言い表すべきです。
それが真理です。
*
あなたが、そうするならば、その結果はどうでしょう。それは
「神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、総ての悪から
あなたをきよめて下さるのです。」
その神の赦しの根拠は、神の太っ腹ではなく、唯一キリストの血です。
あなたの多くのとても重い罪のための弁償代金・キリストの血は、
もう既に充分な額として支払われました。その支払いの相手は
「神の義の要求」です。あなたの罪がいくら重く、高いとしても、
神の子、キリストの血の値は無限です。ですから、あなたの罪の為の
弁償代金としては、それは際限が無いほどの「有り余る金額」なのです。
それは必要額を遥かに超えるのです。従って神の義の要求は既に
完全過ぎるほどに満たされているのです。
キリストの血の代価によって満足されたのは先ず神です。ですから、
神には全く問題はありません。ですから、あなたはただその「神の御血に
対する評価」を受け入れればよいのです。即ち、神のことばを信じ
受け入れること、これがただ一つの条件です。
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