2009年5月1日金曜日

もしもそれが

神の敵をサタンと呼ぶとき、
そのサタンという語の意味は「憎しみや敵意」
であると言います。創世記3章を見ると、
神は「キリストとサタンの間に敵意を置く」とあります。
サタンは必ずキリストを憎みます。
これは避けられない必然です。

しかし、
何故サタンは、取るに足らないキリスト者をも憎むのでしょうか。
そのわけは、キリスト者がキリストと一つであるからです。
他の理由はありません。
キリスト者はキリストとの結合の故に、
どうしてもサタンによって憎まれるのです。
これは、第二の必然と言ってもよいでしょう。

キリスト者に降りかかる困難が、
たとえサタンの憎しみからであったとしても、
「もしもそれが」
私達がキリストと一つであると言う理由からであるならば、
それは何と素晴らしいことでしょう。

4 件のコメント:

Koji さんのコメント...

「わたしたちの仕えている神は、その火の燃える炉から、わたしたちを救い出すことができます。また王よ、あなたの手から、わたしたちを救い出されます。たといそうでなくても、王よ、ご承知ください。わたしたちはあなたの神々に仕えず、またあなたの立てた金の像を拝みません。」
ダニエル3:17-18

この記事から、ダニエルのこの個所を連想しました。

Koji さんのコメント...
このコメントは投稿者によって削除されました。
Mr.Sugar さんのコメント...

Koji兄弟
有難う。

私達がそういう者であると
サタンと神によって
本当に認められるべきなんでしょうね。

鷲のように翼を張って さんのコメント...

そうですね。
私が今学んでいる、「キリスト者の権威」に関しては、霊的な反発があるでしょう。今まで教えて来れれなかった分野ですから、聖書に書かれていても、その意味が啓示されてこなかったのだと思います。 その不思議な御言葉の真実を捜し求める者に、神は惜しみなくその意味するところを教えてくださいます。そのとき、まだ途上であったとしても、
神にゆだねられたもののすごさを垣間見て、
ますます、主の導きを慕うようになります。
この体験は個人的なものなので、どれだけ伝わるか分かりませんが、とりあえづ書いてみました。

旧名(いちわのすずめ)から変えて新しくしました。