2009年4月22日水曜日

T姉妹、そしてM家の皆様へ

メール有難う。私は元気ですよ。
でもそれは一つの条件付き。キリスト者がどうしてもつい
使ってしまうあの言葉「不思議」を伴った元気さです。
そう、私はその不思議の中で元気なのです。

キリスト者にとって親族の死とどう向き合えばいいのか、
これはやはり大問題ですね。愛する親族に明確な信仰告白が 
無かった場合であればなおさらでしょう。私達は
これらを一体どう考えるべきでしょうか。

いずれにしろ、やはりキリスト者はそれらを必ず克服して
行かねばなりませんし、今私はそれは可能であると考えております。
キリスト者にいわゆる「タブー」や「不問に付す」等と言う言葉が
あってはなりません。あのイエス様にその様な暗い部分などある筈が
ありましょうか。ですから、これらについてもおいおい、このたび
受けた沢山の「不思議な」思いを少しずつ書いて行きたいと
考えております。(でも私の考えはかなり風変わり、
皆さんがそれを受け入れて下さることが出来るでしょうか)

とにかく、ジュンの死は、これから(もう既にかな?)何らかの形で、
様々な面で生かされて行くことは確実である、との
これも「不思議な」感じがあるのです。
私はこれから必ず種々の不思議さをいろいろな場面で
見て行くことになるでしょう。

しかしどうしても残る言葉は、やはり「主に対する感謝と賛美」、
これは今の私にとっても、最後の不動の言葉です。

0 件のコメント: