2008年8月15日金曜日

キリストに自分を重ねる

私が行って、あなた方に場所を備えたら、また来て
私自身にあなた方を迎えます。私のいるところ(私自身)に
あなたがたもおらせるためです。(ヨハネ14の3)

私は既にキリストと共に十字架に付けられました。
もはや私が生きているのではなく キリストが私の内に
生きておられるのです。(ガラテヤ2の20)

あなた方は既に死んでおり、あなた方の命は、キリストと共に、
神の内に隠されてあるのです。(コロサイ3の3)

キリストイエスの中で、共によみがえらせ、共に天のところに
座らせて下さいました。(エペソ2の6)

あなた方は神の神殿です。(Ⅰコリント3の16)

総てはあなた方のものです。パウロであれ、アポロであれ、ケパであれ、
また世界であれ、命であれ、死であれ、また現在のものであれ、
未来のものであれ、総てあなた方のものです。(Ⅰコリント3の21、22)


もしもこれらの「とてつもない」聖書のことばを、神のことばであるが故に
1パーセントも割引出来ないものであるとするならば、即ち 
詩を読むように単に神の美しいことばとして左から右と私の目の前を
通り過ぎることを許さないとするならば、
「今日の天地におられる復活のキリスト」に「自分を重ねる」以外に、
これらのことばを「理解する」ことは到底不可能のように思われます。

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