さて宇宙の歴史の中で
ある日ある時、まずはありそうもないこと、
先ずは「あってはならない」ことが現実となりました。
それは一体何でしょう。
それはある一つの被造物が、あの創造主と命において
結合した事です。つまり創造主とある被造物が
ある性質において一つとなったのです。
総ての被造物の中で物質に過ぎない体、また肉の弱さを持ち、
時間と空間の制限の中に縛られ、最も無能ではかなく見える存在が、
創造主である神と命において一つとされたのです。
そんなことがあっていいのでしょうか。殆ど信じられないことです。
しかしそれは現実となったのです。
それは決して 神が「創造物の中で最も価値あるもの」を人に与えた
と言うのではありません。被造され得ないもの、
創造されないもの、永遠の過去から自ずと存在していたもの、即ち
何と創造者の命そのもが、ある被造物の命と一つとなったのです。
あなたはこれを信じるでしょうか。
☆
この世で最もあり得ないことは何でしょうか。
この世界でも絶対にあり得ない様なことが時に現実となる例は
あるのかも知れません。しかし、
その中で最たるものが正に「これ」に違いありません。
それは、神の天使達は元より あの偉大な天使達の頭ルシファー
にさえ決して起こらなかったことです。
それは例えば あなたが日ごろさげすんでいる同僚の
一人がある日 突然ある国の王子になるよりもあり得ないことです。
それは明日、宇宙が崩壊するよりも起こり得ないことと言えるのです。
(宇宙崩壊は必ず起こる)
あるキリストにある姉妹が、或る時 突然この事実に
気づきました。その姉妹は「自分が今何を持っているのか」にその時
初めて気づいたのです。びっくり仰天した姉妹は、それから暫くの間、
毎日うわごとのようにこれをつぶやき、時に茫然とたたずんたと言います。
しかしこれはむしろキリスト者としてとても正常な反応である
と言うべきです。何故なら、あり得ない余りに素晴らしいことが
現に彼女の身の上に起こったのですから。
私達は驚くべき神の真理を、何でもないことのように
平凡に自分の前を通り過ごさせてはなりません。
私達は毎日、神の事実を発見し驚き、その不思議さの感動の中で
日を過ごすべきです。真のクリスチャン生活とは「自分が何であるのか」を
キリストの中にある「自分が一体何を持っているのか」を
日々発見する生活に他ならないからです。
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