2008年5月13日火曜日

その舞台(3)

さて宇宙の歴史の中で
ある日ある時、まずはありそうもないこと、
先ずは「あってはならない」ことが現実となりました。
それは一体何でしょう。

それはある一つの被造物が、あの創造主と命において
結合した事です。つまり創造主とある被造物が
ある性質において一つとなったのです。
総ての被造物の中で物質に過ぎない体、また肉の弱さを持ち、
時間と空間の制限の中に縛られ、最も無能ではかなく見える存在が、
創造主である神と命において一つとされたのです。
そんなことがあっていいのでしょうか。殆ど信じられないことです。
しかしそれは現実となったのです。
それは決して 神が「創造物の中で最も価値あるもの」を人に与えた
と言うのではありません。被造され得ないもの、
創造されないもの、永遠の過去から自ずと存在していたもの、即ち
何と創造者の命そのもが、ある被造物の命と一つとなったのです。
あなたはこれを信じるでしょうか。


この世で最もあり得ないことは何でしょうか。
この世界でも絶対にあり得ない様なことが時に現実となる例は
あるのかも知れません。しかし、
その中で最たるものが正に「これ」に違いありません。

それは、神の天使達は元より あの偉大な天使達の頭ルシファー
にさえ決して起こらなかったことです。
それは例えば あなたが日ごろさげすんでいる同僚の
一人がある日 突然ある国の王子になるよりもあり得ないことです。
それは明日、宇宙が崩壊するよりも起こり得ないことと言えるのです。
(宇宙崩壊は必ず起こる)

あるキリストにある姉妹が、或る時 突然この事実に
気づきました。その姉妹は「自分が今何を持っているのか」にその時
初めて気づいたのです。びっくり仰天した姉妹は、それから暫くの間、
毎日うわごとのようにこれをつぶやき、時に茫然とたたずんたと言います。
しかしこれはむしろキリスト者としてとても正常な反応である
と言うべきです。何故なら、あり得ない余りに素晴らしいことが
現に彼女の身の上に起こったのですから。

私達は驚くべき神の真理を、何でもないことのように
平凡に自分の前を通り過ごさせてはなりません。
私達は毎日、神の事実を発見し驚き、その不思議さの感動の中で
日を過ごすべきです。真のクリスチャン生活とは「自分が何であるのか」を
キリストの中にある「自分が一体何を持っているのか」を
日々発見する生活に他ならないからです。

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