2007年6月13日水曜日

カリマンの森にて5

今 早朝4時半 今日もよい天気。
それにしても きのうは暑かったですねー!
 所で今日が 梅雨入り前 最後の好天なのかも知れない、
これから暫くジメジメの季節、一寸 ユーウツです。

 きのうは水周りの設備が入るためのスタンバイが完了。
でも 設備屋さんが遅いのです。ま これはやむを得ません。



人がいつでも どうしても離れられない意識 それは
「私 私 私 アイ アイ アイ 私 私 私」

しかし 神の言葉は、そして神のチャレンジは
「よく見なさい 私が見るのはあれだけ、あれがあなたです!」

『あれ』とは キリスト、
それも今日のイエス、奥義的イエス、天地のナザレのイエス。


ヨハネの見た新エルサレムは 単なる模型なのだろうか?
そんな筈はない。それは永遠の中にいたヨハネが「見た」
永遠の中の真正の新エルサレム。
その原型が 私達が今住んでいる奥義的キリストイエスであるならば
永遠の中では 今 私達も既に新エルサレムに住んでいる!


*ハモラなくとも美しい*

近所の村井ガーデンのベンチに座って目をつむると
色んな命たちの 生きている「勝手な」音が耳に飛び込む:

小さな 山の清潔なハエとハチの 眠くなりそうな 
プーンと耳にかすかに届く羽音
またそれらを打ち破るようなヒヨドリ達の騒ぎ、
そして遠く田んぼの蛙の声、
それらが不思議にも かえって森の静寂を引き立たせ
更にそこに せせらぎの不協和音が加わると、
その全体が いろいろな命の様々な個性が、指揮者もいないのに 
技巧のない完全な 人を包み込み癒す 平和な音世界を創造するのだ。
これこそ命、いのちのハーモニー。

人の汗と涙なくしては決して産み出し得ないエリート達の
混声合唱やオーケストラを思う時

私は 唯 永遠と復活の中の 
巧まざる 人手によらない 天的命の交響曲を慕う。

   ☆        

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