2012年3月24日土曜日

薪ストーブはこれから?

このところ、
「腰の張り」のせいで、薪作りに行けないでおります。
しかし、実に感謝なことには、昨夜らいの雨で
雪が溶け、気温も上がって来たのです。正に
グッドタイミングです。

張りの方も大分よくなって来たので
あさってあたりには、お客用の赤松の立ち枯れを
倒しに「南の森」に入れるかも知れません。

4月の客であれば、
ここでは薪ストーブでの歓迎も決しておかしくは
ないでしょう。
「夏も近づく6月の薪ストーブでさえ、梅雨時のいやな
ジメジメを見事追い出してくれるので、実に気持ちが
よいものです」とは薪ストーブの先輩の言葉です。


★
ハデス(黄泉)の門も
エクレシア(教会)には打ち勝てません。(マタイ16の18)

巧妙な「いつわり」や「おどし」によって、
人々を「その穴」に送り込もうとする
多くの邪悪な悪霊達に対抗し、
教会(エクレシア)のため、神の真理の言葉を駆使(クシ)し
黄泉の門の前に、敢然として立ちふさがるキリスト者こそ、
正にこの時代、神が求めておられる存在です。

2012年3月22日木曜日

よくなりました

腰痛、大丈夫ですか?
Nさんが来て、いっしょにブログを見たのですが
彼女が言うには、”筋肉痛”と”冷え”から来たのでは
ないでしょうか。腰を暖かくして、冷やさないように
したらいいですよ、と言ってました。

*
有難うございます。

きのう
インターネットで調べて分かったのですが、
この腰は腰痛には違いないのですが、
「腰の張り」というものらしいです。

昨晩、熱い風呂に入ってバンテリンを塗って寝たら
ケサは相当よくなっておりました。やや前かがみの体せいが
殆ど直立に近くなりましたから。確かにまだ違和感はある
のですが、多分もう大丈夫だろうと思います。
(Nさんの見立ては結構いい線だったのでは・・)

それに、
内装工事というのは、狭い脚立に乗ったりして
かなりムリな姿勢になるのです。年も年です、
これからは十分気をつけることにしましょう。

それでは。

2012年3月21日水曜日

反省

きのう、腰痛になりました。
「午前は大工、午後は薪取り」と言う日々が続いたから
でしょう。午前も午後も、ではなく、力仕事は一日片方
だけにし、しかも「控えめに」するべきでしたね。
(しかしこの「控えめ」の程度が難しい。)

ベッドに仰向けになると痛みは全く感じないのですが、
起きると痛いのです。でもきのう午後に一眠りしたら
大分よくなり、ケサは更によくなっていますから
少なくも深刻な病気ではないのでしょう。
しかし未だに腰がやや後ろに引けて、しかも前かがみ、
あの「ネアンデルタール人」のような情けない格好です。

以上の様子を見るに多分、ぎっくり腰のような骨の問題
ではなく、やはり筋肉の疲労なのでしょう。今日と明日
あたりは、おとなしくしていた方がよいようです。

一言で言えば
「日常のゴク小さなことに」おける不注意が原因です。
どんなことにおいても
「主よ、今あなたは何をされたいのですか?」と
もっともっと主にきくべきでした。反省ですね。

2012年3月17日土曜日

なつかしい物たち

今日は、Nさんが来て、いっしょにブログを見ました。
”しょいこ”って何?皆わからず、娘が辞書で調べて、
あの二宮金次郎の背負っているものであることが
わかりました。「ごようかご」は、私が若い頃、行商の人が
背負って、魚とか売って歩いてた四角い背負えるかごです。
そちらの方(本州)では、なかったですか。

*
私も実際には「しょいこ」も「ごようかご」も知らない
のですが、それらのもの達に、強烈になつかしさを覚えるのは
なぜでしょう。今、二宮金次郎が、いつも会う隣のおじさん
のように感じます。冬の山暮らしの不便さに本当に困って初めて、
昔の物達の便利さが分かるのでしょう。ショイコか
「ごようカゴ」を背負って、深い雪の中を登る。
来年これは貴重な体験となりそうです。

(日が大分照ったせいで、きのう、ハンドルを取られながらも、
何とか車を小屋まで運ぶことが出来ました。)

*
今、山小屋は内装工事ですが、風呂場のスノコを作っています。
風呂場の床をモザイクタイルにしたのは大大失敗でしたね。この
素材は、とても几帳面でキレイ好き、それで、風呂場のタイルを
しょっちゅう磨くような人でないとダメです。

こんな私ですが、風呂場の床のあまりの汚さにあきれはて、
今回その「ボロ隠し」にスノコをしくことにしたのです。これで
あのみにくい風呂場は、たちまち大そう美しく変身すること
でしょう。(しかし風呂場と違い、私の心はこうは行きません。)

2012年3月16日金曜日

ある対話

雪は大変ですね。
皆さんと話してたのですが、買い物は、リュックサックを
使うと、山を登るのが少し楽なのではないでしょうか。 
Mさんは「ごようカゴ」がいいよ、と言ってましたが、
今あるかどうかわかりません。

*
アドバイス感謝です。
「ごようかご」ですか、存じませんね。
でもなんだかなつかしいヒビキ。
来年はリュックか「しょいこ」を準備しましょう。
「ごようかご」は「しょいこ」とは違うのでしょうネ。

まき割りは大量となるとやはり大変です。
少しは体のことも考えないと。
で、今「まき割り機」の購入を検討しております。
安くていいまき割り機はないものでしょうか。

*
「わが子よ、
主の懲らしめを軽んじてはならない。」(ヘブル12の5)
(神は「キリスト者を」懲らしめます。)

この言葉は
今この時代、キリスト者が「神の懲らしめ」を軽んじ無視して
「先送り」さえできることを示唆しております。
「次の時代」におけるキリスト者の「歯がみ」とは一つには、この
「先送り」の故でしょう。何故なら彼は「知っていた」からです。

霊の父は、
私達の益のため、私達をご自分の聖さにあずからせようとして
(今)懲らしめるのです。(12の10)

2012年3月15日木曜日

暖かくなるのは「あさって」から

車を、
遠い林道(マイ駐車場)においたまま,しばらくになります。
「ロイヤルロード」の雪がなかなか溶けないからです。

天気予報はこの所ずうっと(喜びなさい)
「明後日になれば気温がグッと上がるから」なのですが
その翌日になると、予報は昨日と同じ、
「明後日になれば・・」なのです。だったら
いつになったら春になると言うのだ!

・・と言いたくなるのですが、それは
北国に住む者の「春は名のみの・・♪」弥生3月の気持ち
なのでしょう。

所で
こうやって「マイ駐車場は遠いのだ」と覚悟すれば
ドンな大雪になろうと、どういうこともないのです。
「一回数万円を払ってもどうしても除雪だ!」など
今思えば、トンでもない思い違いであったことが分かります。
むしろ不思議なのは、こんな当たり前のことに、
どうして今まで気がつかなかったのか、と言う事実です。

しかし実は
除雪のことなど、どうでもよい問題なのでしょう。
私の人生そのものにおいて、取り返しのつかない
「気づきのなさ」や後悔のゆえに
神の御前において将来
とても悔しい「歯がみ」などすることがありませんように。

*
福音書に出てくる「歯噛みをして悔しがる」は
「滅び」ではありません。
永遠の命を神からいただき、神から生まれたキリスト者が
永遠に滅びることなど絶対にあり得ません。
それは論理的にも成り立たないことです。

2012年3月13日火曜日

難題二つ

マズは「雪の中でのまき割り」です。全くそれは
季節違いそのもの、どうみても様にならず、格好が悪い。

でもそこに利点が一つもないかと言えばそうでもなく、雪の中
だから薪はシッカリと立ってくれるのです。(マキと言うものは
割ろうとする瞬間、イヤだとばかりによく倒れます。)

最初に複数のマキを雪の中に並べ、片っ端から割って行く時
それが次々にパッパッと二つになる瞬間はとても小気味よく、
一寸したスポーツ感覚です。

しかしマキを「薪置き場」から、割る場所まで、傾斜地を運び
上げるのは楽ではありません。まあ、明日焚く分だけだから、
大して疲れもしませんが。
(オイオイ70も越えると、問題は後で来るんだよ!)

もう一つは・・
きのう初めて、深い雪の中、数100メートル離れた駐車場から
小屋まで歩きました。都会の人でも、駐車場が遠いという人は
いるでしょう。でも、深い深い雪の中、重い食材を
両手にぶら下げ、それもあんなに長い坂道を運び上げる、
と言う人はそんなに多くはないでしょう。
やはりこの二つは難題と言えますね。

2012年3月10日土曜日

大雪の中でマキ割りをします

またまた大雪です。今既に大雪なのに、この降雪が午後
3時まで続くと言うのですから、今回この大雪は、この冬
最大規模となるかも知れません。昨日の夕方、車を林道に
置きに行って本当によかった。

それはそうと、この大雪では
森に入ってのマキ取りはマズ不可能です。それでも
明日炊く薪は、今日中に何とかしなければなりません。

しかし、ここに奥の手があるのです。
それは去年「ミスターエンジェル」が作ってくれた
「来年用の大切なマキ」の一部をこのたび焚く、というものです。

思えば正に去年の今です。あの大震災が来る寸前、
僅か2日間で、彼は雪の中、小屋の西側の樹木を伐採し、
相当分のマキを作ってくれたのです。(信じられますか、彼はその
目的の為に、わざわざ遠方から来てくれたと言うことを。)

にもかかわらず、私は「マキ置き場を作ってから」と、そのマキを
そのまま放置しておいたのです。ようやくそのマキ置き場(同時に
マキ小屋も作った)が完成し、マキの乾燥を始めたのが去年の秋
ですから、まだまだマキの乾きは不十分です。

しかし、このように大雪に閉ざされる緊急事態の中では
これはやむを得ないでしょう。だから今日から、この大雪が
おさまるまで、雪をかき分け、「ミスターエンジェルの貴重な
マキ」をマサカリで割る、という作業に入ることになるのです。

★
人間、頭だけでは何も分かりません。
多分この冬「薪の貴重さ」をつくずくと思い知る各種の経験を
してしまった私は、この春以後、時間を見つけては、さして
無理なく、むしろ楽しく「来年・再来年用の薪作り」に励む
ことでしょう。

2012年3月9日金曜日

阿武隈の春の雪

きのうの記事を読まれた方が
「ソリは使わないのか、雪はいつ溶けるのか」と
聞いて下さいました。有難うございます。

先ずはソリですが、
この辺は凹凸の激しい地形ですのでソリはムリですね。
でもきのうの場合は幸い、立ち木を切り倒した場所の
スグ下が道路だったので、切った木の幹を下に投げ落とし、
それを車で小屋まで運んだのです。これが出来る場合は
比較的楽です。

さて、
ここ阿武隈は東北の山奥には違いないのですが、一応
太平洋に近いので、真冬は晴れの日が多く、積雪は少ない
のです。(でも一旦降るとなかなか溶けてくれません)
しかし「冬型の気圧配置」が崩れる3月頃になると、東京が
雨でも、標高の高いここは雪となるのです。だから時に
阿武隈の春の雪は大雪となります。

ケサからの霧雨が、午後からミゾレに変わりました。
明日焚くマキがないので、そのみぞれの中、昨日運んだ
木の幹を、マキ用に短く切って、それを南デッキに並べ終え
ヤレヤレと今、中でくつろいでいる所です。
これだけあれば明日までのマキは大丈夫でしょう。

予報は、この雪は明日の昼まで続くと言います。様子を見て、
また車を遠い駐車場まで持って行かなければなりません。
あれやこれやと確かに大変ですが、これらの事も
山暮らしの醍醐味と言えないこともありません。

★

神が達成し、私達に与えられた諸事実の中で
最も感謝するべきことは
「神が私をキリストの中に置かれた」という真理です。
(それはキリストの死の時点から始まったのですが・・)
それ故に、キリストの死のみならず、復活、昇天、御座においても
「私はキリストの中にいる」のです。

パウロの手紙に頻出する(70数回)「主に在って」(in.Christ)
とはその意味です。今日、キリスト者間で、その事実が単なる
「挨拶のフレーズ」になってしまい、その明らかな効力を、
キリスト者が殆ど実生活で経験することがないのは、
「形のみを残し、実質を奪うサタンの仕業」です。

2012年3月8日木曜日

マキが底をついた

遂に、本当にマキが底をつきました。
4、5日分はあるであろう、小屋の周りに散在しているはず
の「木のゴミ」(立派に薪になる)は大方まだ雪の中です。

となると選択肢はただ一つ
「柴かりじいさん」をやるしかありません。
「おじいさんは山に柴かりに・・」明日焚くマキを、
今日中に何とかして山から取って来るのです。

きのう、灯油ストーブをつけても見ましたが、どうも
いけませんね。
「どういけないのか」を書き出すとキリがないし、
あまり楽しい作業ではないので書きませんが、一つに、
灯油ストーブとは「お金を焚く」ストーブであり、
マキストーブは「自分の労力を焚く」ストーブなのでは
ないでしょうか。

「しょうがない」と、とにかくさきほど、チェンソーを
かついで、近くの森にでかけ、明日焚く薪を取って来ました。
これは本当に大変な労働です。しかし正直、
それでもマキストーブの方がはるかによいのです。

★

神が既にキリストにあって私達に与えている
私達の立場、身分、地位を信じ、それに安息し、更に感謝し
そしてその事実を「宇宙に向かって」宣言すること。
(それらの事実は各自聖書から必死に探さねばなりません。)
方や
それと矛盾する一切の目に見える現象、感覚を断固排し、
拒絶すること。
それこそが神(のことば)を信じるということであり、
キリスト者の日々の「仕事」でさえあると考えております。
(神を信じるとは、神のことばを信じることです。)

2012年3月5日月曜日

太郎さんのその後

去年12月6日の記事で、皆様方に
お祈りをお願いしたあるキリスト者の事です。

大病院の医師から完全に見放され、
それゆえに転院を迫られていた、末期肝臓病患者の
太郎兄弟は 12月6日の時点で、3つの重い現実の中で
とても苦しんでおられました。それは、ひどい腹水、
全く食べられないので、100%点滴による栄養補給と
体内に入れた医療器械です。

所が、何とその後、症状はドンドン快方に向かい、
腹水はなくなり、不思議なことに
食欲が出て来たので点滴の必要もなくなり
腹に入れた器械は取れ、遂に
「もう絶対にあり得ないと医師が言った退院」が
1月23日に現実のものとなったのです。

先日、渋谷の彼の自宅で、神は私達に
見違えるようになられた太郎さんとの、
キリストにあるとても親密な交わりを与えられました。

その交わりの結果、これから月一くらいのペースで
「普通のキリスト者どうしの単純な交わり」を太郎さんの
家で持つことになったのですが、それは、彼の現在の心境を
表すある真実な言葉がキッカケとなったのです。

それは、
これから多分そう長くは無い私の人生を
本当に価値のあるもの、神に対する「真の礼拝」の為に用いたい、
というものでした。

その間の数時間、彼は一度も横になることなく、私達と同じ
テーブルのイスに、シッカリと座り続けておられたのです。

2012年3月3日土曜日

雪に閉じ込められています

昨日、山に入りました。

きのう山の天気予報は
「正午から雪、それが翌朝まで降り続く」というものでした。
これは大変、間違いなく大雪になる。だから、どうしても
荷物や建材を、午前中に小屋に入れ、
車は林道に置かなければならない!と言うわけで、
昨日まだ暗い早朝、5時過ぎに実家を出たのです。

しかしそれ以前の問題もあり「29日の雪のせいで、果たして
ロイヤルロードは登れるのかな」とも思ったのですが、これは
ハンドルを取られながらも、チェーンなしで、しかし
何とかヨタヨタと小屋に着くことが出来ました。

正に予報の通り、正午からドンドン雪が降って来ました。
しかしお昼のラーメンを食べてから、降る雪の中、車を
林道に置きに行ったのはわけもないことでした。

*
予測どおり今(翌朝3日の5時半)西の窓から見ると
「これはあの1月22日の凄い大雪と、全く同じ景色
ではありませんか!」
あたりは、ノッソリとした白い物体の中に包まれ、
その中に埋もれてしまったカリマンなのです。

これで私は一人小屋に閉じ込められることになりますが、
多分大丈夫でしょう。何故かと言うと、水道の凍結は何故か
全く無かった上に、あさってから高温が続く予報であるし、
食材はきのう沢山買って来たからです。

2012年2月29日水曜日

いよいよ林道に駐車か

今実家に来ており、
ブログの方はお留守になっております。

今日はここも東京も雪、今どんどん降っています。
ここでもこうなのだから、山小屋あたりでは結構な
積雪になるでしょう。

と言うわけで、あさっての入山が気がかりです。
いよいよ、ロイヤルロードは、車で入れないことも
覚悟するべきです。その場合、今回初めて、車を
林道に置き、徒歩で小屋に向かうことになります。
(或はチェーンを着ければ登れるかな?
とにかく行って見ないと分かりません。)

こういうこともあろかうと、今回は長靴を車に積み込み
荷物も少なめにして下山したのですが、それでも
ノートパソコンその他は、かつぎ上げなければなりません。
(それにしても、ホンダで買った大きな買い物を小屋に
入れるのはいつになるのでしょうか)

それに水ですが、外の止水栓は止めたのですが何と
中の蛇口を全部開放にするのを忘れてしまったのです。
この結果がどうなるかは経験がないので分かりません。
(昨日朝、田村市はマイナス12度の予報であったから、
小屋は-15度以下になったでしょう。)

チェンソーについての貴重なコメント感謝です。
今持っているものは「コメリ」が売り出している中でも
最小のものです。バーサイズは300ミリもないでしょう。

昨日ジョイフルホンダでいろいろ聞いて見たのですが
私のような者の場合、特に高価なものを買う必要もないかな、
と言う印象を持ちました。
ジョイフルホンダでは「タナカ」のものを扱っており、
「普通はこれで十分です」と店員は自信満々でした。

漆喰は白かオフホワイトにしようと思っております。
その工事の開始は4月でしょうか、五月でしょうか。
今後ともよろしくお願い致します。

2012年2月23日木曜日

二月の雨

ここにしては珍しい二月の雨です。これであの時の
大雪も八割方は消えるでしょう。

薪の方は、「ここまで来たら、この冬の分は何とか
なりそう」とノンキなものです。底をついたら、また
「立ち枯れの赤松」を切りに行けばいい、と思っている
せいですね。それにしても正直「まーよくぞここまで
来たもんだ」と言うのが実感です。これもきっと
「ミスターワンダー」(イザヤ9の6)のお陰でしょう。

ところで、チェンソーの目立てというのは難しいです。まだ
コツがつかめていません。それに、もっと馬力の強いのを
買わないと、森林組合が伐採後「奥の沢」に放置した、
根もとに近い巨大な杉はとてもカット出来ないでしょう。
出費は少々痛いのですが、このライフスタイルを自分で選んだ
以上、これはやむを得ないことです。やはりチェンソーは
「スチール」社のものがいいのでしょうか。

大工の方は一階部分の内装です。3月一杯くらいで、漆喰を
塗る前段階まで行ければいいかな。この方も、ホンとにここ迄
来たのか、とつくづく思うばかりです。ただ主に感謝です。

「真理と経験」の方は、
キリスト者に内住されている聖霊とは
「御父と御子にとってさえ、彼等の命の力そのものである」
という事実にただ驚いております。
これ以上に大変なことが他にあるでしょうか。

2012年2月18日土曜日

ハルさんのこと

昨日、となり(とは言っても遠いのですが)の85歳?の
お婆さん、ハルさんの所に行きました。皆さんは決して信じ
られないかも知れませんが、彼女は、この物すごい寒さの中、
実に簡単な作りの小さな家に住み、暖房と言えばコタツ一つ、
しかも一人暮らしなのです。その上、今水道さえ出なくなり、
数10m先に、一日に数回、水くみに行っていると言うのです。
これは相当辛い作業です。私ならばとても耐えられません。

彼女は、
既に亡くなった夫とともに、戦後このカリマンの山を開墾
しながら5人の子供を立派に育て上げられたのです。

*
さて、私はこの方に、10年ほど?前、一度だけ福音を
ホンの少しだけ語ったことがあったのですが、昨日少し
驚かされることを聞いたのです。

先日彼女は、結構高い玄関から、下の土間に転げ落ち、
したたかに体を打ったのだそうです。誰も助けてくれる
人とてない85歳の老婦人にとって、これは決して小さなこと
ではありません。

これは大変なことになった、どうしようと激しい痛みの中、
しかしハルさんは、何故か以前「私から聞いたお方」のことを
思い出し「助けて下さい」と言うようなことを口にした
のだそうです。

「そのトタンすぐに、体が全部、スウーッと元どうりに戻って
しまった」と、彼女は満面に笑みを浮かべて言われるのでした。
(当然福島弁でです)

昨日私は、ハルさんに依頼されたキャットフード等を届ける
用事もあったのですが、実を言えば数日前から、主からの
明確なうながしがあり、今日は必ず

ハルさん、何か困ったことがあったら、
「キリスト様、助けてけろ」とゼヒ言いなさい、
と告げるべく出かけたのでした。

そのことを、私が別れ際に簡単に伝えた時
ハルさんは「そうだそうだ」とばかり、直ちに
上記のことを言われたのです。(もう既に彼女は
実践していた、ということですね)

今後もハルさんに
「今生きておられる神」の祝福と導きがありますように。

2012年2月17日金曜日

求む、27㎝以下の蛇口つきナベ

高さは適当な高さでいいのですが、
下に蛇口のついた湯沸し鍋はないものでしょうか。
これに水を入れ、ストーブの上に置くと、たちまちお湯
になります。これを流し場に持って行けば、ただで台所の
洗い物が出来、ガス代が相当倹約できるでしょう。

私がインターネットで見る限り、最小でも径30センチです。
これでは、このストーブトップには大き過ぎます。(煙突が
真っ直ぐ空に突き出るタイプだとこうなる)或はそれとも
こんな湯沸し鍋は日本にないのかな。

*
今日の予報は晴ですが、夜に降った4センチの上に
今も雪が降っています。
これだといよいよ、今のうち、車を遠い林道の駐車場に移動する
べきかも知れません。予報を信じて、もう少し様子を見るのが
よいのか「難しい判断」に迫られております?

今9:39am
そうこうする内に正にピーカンの快晴になってしまいました。
こういう時、殆どオンタイムなので、気象レーダーの画像は
役に立ちます。

*
工事の方は、カベと天井の境目のボロ隠しのため、コーナーに
細木を打っております。これが終われば、壁の漆喰塗りが
見えて来るので、これは嬉しいことです。ロフトは後回しですね。

2012年2月16日木曜日

御国(天国)

メール感謝です。皆さんがそんなに長い間(何年間も)
「御国」を学ばれているとは凄いですね。

御国と聞くと、私はある種の「興奮」を覚えるのを
禁じられません。だから御存知のことでしょうが
次のことを書かせて下さい。

聖書で言う国とは民主国家でなく王国です。
その王とは神、主キリストです。だから御国とは
具体的には「キリストの支配」ということになるでしょう。

そこでとても大切なことは、
その「主の支配」は私の生活において
今もう始まっていなければならない、ということです。

だから今日、王の支配の下に生きていない人が
ある日突然「気づいたら何と私は天国にいた」ということは
あり得ないことです。それはムリであり不自然です。

それは人の血肉を源とする宗教から発した希望的憶測に
過ぎません。原則的に神は「取ってつけたような不自然な
こと」はされません。だから「次の時代」においても、
その人が天国の支配を享受することはあり得ないことです。

逆に言うと、ある人が今現在、王国(神の支配)の中で
生きているのであれば、その人は次の時代(「御国が誰の
目にも明らかに出現し、神が義によって統治される時代)★
においても、無理なく自然に、自らも「御国の統治」に
あずかることでしょう。

★
「次の時代」に対応して「今の時代」があります。
今の時代において「御国の実際」は、この地上の
「ある部分には」確かに存在しているのですが、それは
キリスト者をも含め、殆どの人の目には隠されています。
福音書が言うように、今の時代における天国は、極めて
奥義的です。

だからこの時代において(いわゆるキリスト教の「天国に行く」
とは相当違うのですが)「天国は奪わなければならない」と
イエスはあえて言われたのです。その意味は、まず真剣に天国を
捜し求め、門を叩いて見出し「自分にとって殆ど耐え難いほどの
貴重な代価」※を払ってまで、自分の手で勝ち取らねばならない、
ということです。これがいわゆるイエスの「山上の教え」でも
あります。「先ず神の国と義とを求めなさい」(マタイ6の33)

※「自分にとって殆ど耐え難いほどの貴重な代価」とは
「自分の魂の命」を十字架の死に渡すことです。もしも私達が
そうするならば、「内なる人」の中の聖なる「霊の命」が腐敗した
魂の命にとって代わるいう「命の奇跡」を体験することでしょう。
(命とは当然、生きる為の力・エネルギーのことです。)

2012年2月13日月曜日

カベに穴を開ける

今殆ど、下のワンルームで暮らしており「全館暖房」は
していません。二階(ロフト)と和室、バスゾーンは
殆ど暖房から遮断しております。それでトイレは少し寒いのです。
(とは言っても結構暖気はどこからか流れて行くので、
耐えられない寒さになることはありません。)

さて「トイレ・洗面所」(バス)は一枚のカベで居間に
接しております。そこで居間・トイレ間の壁に穴を開けて、
居間の暖気が自然にトイレに流れて行くことを考えました。
というわけで昨日から、カベの上部への穴あけ工事に
かかっているのです。

ただトイレの音が居間に聞こえるようでは困ります。
客がいる場合の防音は何とかしなければなりません。
(ある算段はあるのですが、多分うまく行くだろうとは
思っております。)

*
この所ストーブの方は、薪を「少しずつ、しょっちゅう」
くべるのではなく、一度に大量に入れております。
これは「くべる」と言うよりは「詰め込む」ですね。

最初ゴーッと派手に燃やし、強烈な炎で煙突のススを
除去したいのです。貴重な情報なのですが、これが
うまく行くと煙突掃除の手間が省けると言う。さてこの
最初の段階では相当の熱が出ますが、それは短時間です。

次に、
空気を大幅に遮断します。この時間帯は正に煙が主役と
なって、煙が暖房するのです。(この時、外に出て見ると、
煙突からの煙がハッキリと見え、自然がくれるほのかないい
香りがあたりに漂っています。ああ山暮らしだな、と
「瞬間的な幸せ」を感じる時です。)この期間はうまく
行けば数時間に及び、しばらくすると

薪は徐々に大量のオキに変化して行きます。
この時間も結構長く、意外に熱量も相当あるのです。これは
ストーブが音もなくヒッソリと部屋を暖めてくれる時間帯です。
たとえオキがゴク僅かになったとしても、部屋の気温が翌朝、
「19度に低下」していたことは殆どなく、これまでの所
一回だけでした。

この①~③の総時間ですが、うまくやると12時間にも
及ぶようですが、「柴かりじいさん」の結果、この辺の森の特徴
上、赤松の朽木ならば意外と楽に入手できるかも知れなのです。
その結果、少し気が大きくなって、今は6時間間隔以内で
結構ドカドカと焚いているのです。(大丈夫かな)

2012年2月10日金曜日

シーズン中に煙突掃除か

今日のマキ作りは大いに進歩しました。
森の現場で、木を最終のマキにまでカットするのではなく、
適当に切った長い幹を車に乗せて、小屋まで運ぶのです。
この方法だと相当手間がはぶけそう。

それが分かっただけでなく
「どうもこのあたりの国有林は赤松の朽木でよければ、
意外に楽に入手できそうだ」とも。
そういうわけで、
私は今日の朝、冬の森の中で一人ほくそえんだのでした。
(その上、針葉樹の朽木というのは、普通1、2年もの
乾燥期間が全く不要というのもとてもラッキー)

*
マキストーブで一日24時間、一冬連続して暖房する
となると、ゴーゴー燃やしてばかりいるわけには行きません。
(睡眠中などは特に)

ではどうするか。
ストーブへの酸素を大幅にカットし、炎は殆ど出ない
ようにして、煙でストーブを熱くするのである。
こんなことは知りませんでしたね、マキストーブとは
「煙が主役」だなんて。(それでも22、3度を下ることは
殆どありません)

ところが、そういう焚き方ばかりしていると
ススが多く出て、煙突が詰まりやすいという。
特に赤松はそうだと。

これは困った。今度山を下りたら、煙突掃除の
大きなブラシを買ってこようか。

2012年2月9日木曜日

二つの事実

・・・言われる通りです。

神は最後のアダムの肉において、旧創造の総てに
死刑を執行されただけでなく、それを呪われました。

だからイエスは
「ユダヤ人の石打ち刑」で死ぬことは出来ませんでした。
なぜなら、神の心は旧創造を、死刑に処すだけでは満足される
ことはなく、その上旧創造をとことん呪う必要があったからです。
だから旧創造の一切は神から見て、単に終わらされただけでなく
死んだ忌まわしいヘビのように更に呪われ、汚れたものとして
捨て去られねばならなかったのです。イエスにおける十字架とは
何たる死刑であったことでしょう。

(この事実を私達は、
自分自身と、自分そのものと、自分に
属する一切の旧創造に一つ一つ適用するべきです。)

当然のことながら、イエスは神によって呪われたくはありません
でした。にもかかわらず「ただみこころであるが故に」十字架に
向かわれたイエスの苦悩は、実にその点にあった筈です。
しかし彼は自分を否み、十字架に向かわれました。
それはひとえに父へ従順と私たちへの愛の故でした。
「彼は・・死にまで従い、実に十字架の死にまでも
従順になられた。」(ピリピ2の8)

以上のことは神の側では、
永遠において、キリストの中で、また法的に
完成しております。

今、時空の中にいる私達がするべきことは
苦悩するイエスとは異なり、ただ、
上の事実を信じ「安息する」ことです。
何と幸いなことでしょう。
これは日に何回でもするべきです。

*
もう一つの真理があります。それは
信仰・「信じること」とは、知的操作などではなく、
本質上それは霊的なものであり、その中には
永遠の性質がある、と言うことです。

だから、2千年前の
「永遠の性質を持つ十字架の事実」は
それと同質の
「信仰という霊的、永遠的なもの」と結合し
(或はそれに乗って)2千年後の私達の現実の中に
まるで宅急便のように届けられ得る、という驚くべき事実です。
何故ならそれはキリストイエス「の」信仰であるからです。
(ガラテヤ2の16その他、原文)