2012年2月29日水曜日

いよいよ林道に駐車か

今実家に来ており、
ブログの方はお留守になっております。

今日はここも東京も雪、今どんどん降っています。
ここでもこうなのだから、山小屋あたりでは結構な
積雪になるでしょう。

と言うわけで、あさっての入山が気がかりです。
いよいよ、ロイヤルロードは、車で入れないことも
覚悟するべきです。その場合、今回初めて、車を
林道に置き、徒歩で小屋に向かうことになります。
(或はチェーンを着ければ登れるかな?
とにかく行って見ないと分かりません。)

こういうこともあろかうと、今回は長靴を車に積み込み
荷物も少なめにして下山したのですが、それでも
ノートパソコンその他は、かつぎ上げなければなりません。
(それにしても、ホンダで買った大きな買い物を小屋に
入れるのはいつになるのでしょうか)

それに水ですが、外の止水栓は止めたのですが何と
中の蛇口を全部開放にするのを忘れてしまったのです。
この結果がどうなるかは経験がないので分かりません。
(昨日朝、田村市はマイナス12度の予報であったから、
小屋は-15度以下になったでしょう。)

チェンソーについての貴重なコメント感謝です。
今持っているものは「コメリ」が売り出している中でも
最小のものです。バーサイズは300ミリもないでしょう。

昨日ジョイフルホンダでいろいろ聞いて見たのですが
私のような者の場合、特に高価なものを買う必要もないかな、
と言う印象を持ちました。
ジョイフルホンダでは「タナカ」のものを扱っており、
「普通はこれで十分です」と店員は自信満々でした。

漆喰は白かオフホワイトにしようと思っております。
その工事の開始は4月でしょうか、五月でしょうか。
今後ともよろしくお願い致します。

2012年2月23日木曜日

二月の雨

ここにしては珍しい二月の雨です。これであの時の
大雪も八割方は消えるでしょう。

薪の方は、「ここまで来たら、この冬の分は何とか
なりそう」とノンキなものです。底をついたら、また
「立ち枯れの赤松」を切りに行けばいい、と思っている
せいですね。それにしても正直「まーよくぞここまで
来たもんだ」と言うのが実感です。これもきっと
「ミスターワンダー」(イザヤ9の6)のお陰でしょう。

ところで、チェンソーの目立てというのは難しいです。まだ
コツがつかめていません。それに、もっと馬力の強いのを
買わないと、森林組合が伐採後「奥の沢」に放置した、
根もとに近い巨大な杉はとてもカット出来ないでしょう。
出費は少々痛いのですが、このライフスタイルを自分で選んだ
以上、これはやむを得ないことです。やはりチェンソーは
「スチール」社のものがいいのでしょうか。

大工の方は一階部分の内装です。3月一杯くらいで、漆喰を
塗る前段階まで行ければいいかな。この方も、ホンとにここ迄
来たのか、とつくづく思うばかりです。ただ主に感謝です。

「真理と経験」の方は、
キリスト者に内住されている聖霊とは
「御父と御子にとってさえ、彼等の命の力そのものである」
という事実にただ驚いております。
これ以上に大変なことが他にあるでしょうか。

2012年2月18日土曜日

ハルさんのこと

昨日、となり(とは言っても遠いのですが)の85歳?の
お婆さん、ハルさんの所に行きました。皆さんは決して信じ
られないかも知れませんが、彼女は、この物すごい寒さの中、
実に簡単な作りの小さな家に住み、暖房と言えばコタツ一つ、
しかも一人暮らしなのです。その上、今水道さえ出なくなり、
数10m先に、一日に数回、水くみに行っていると言うのです。
これは相当辛い作業です。私ならばとても耐えられません。

彼女は、
既に亡くなった夫とともに、戦後このカリマンの山を開墾
しながら5人の子供を立派に育て上げられたのです。


さて、私はこの方に、10年ほど?前、一度だけ福音を
ホンの少しだけ語ったことがあったのですが、昨日少し
驚かされることを聞いたのです。

先日彼女は、結構高い玄関から、下の土間に転げ落ち、
したたかに体を打ったのだそうです。誰も助けてくれる
人とてない85歳の老婦人にとって、これは決して小さなこと
ではありません。

これは大変なことになった、どうしようと激しい痛みの中、
しかしハルさんは、何故か以前「私から聞いたお方」のことを
思い出し「助けて下さい」と言うようなことを口にした
のだそうです。

「そのトタンすぐに、体が全部、スウーッと元どうりに戻って
しまった」と、彼女は満面に笑みを浮かべて言われるのでした。
(当然福島弁でです)

昨日私は、ハルさんに依頼されたキャットフード等を届ける
用事もあったのですが、実を言えば数日前から、主からの
明確なうながしがあり、今日は必ず

ハルさん、何か困ったことがあったら、
「キリスト様、助けてけろ」とゼヒ言いなさい、
と告げるべく出かけたのでした。

そのことを、私が別れ際に簡単に伝えた時
ハルさんは「そうだそうだ」とばかり、直ちに
上記のことを言われたのです。(もう既に彼女は
実践していた、ということですね)

今後もハルさんに
「今生きておられる神」の祝福と導きがありますように。

2012年2月17日金曜日

求む、27㎝以下の蛇口つきナベ

高さは適当な高さでいいのですが、
下に蛇口のついた湯沸し鍋はないものでしょうか。
これに水を入れ、ストーブの上に置くと、たちまちお湯
になります。これを流し場に持って行けば、ただで台所の
洗い物が出来、ガス代が相当倹約できるでしょう。

私がインターネットで見る限り、最小でも径30センチです。
これでは、このストーブトップには大き過ぎます。(煙突が
真っ直ぐ空に突き出るタイプだとこうなる)或はそれとも
こんな湯沸し鍋は日本にないのかな。


今日の予報は晴ですが、夜に降った4センチの上に
今も雪が降っています。
これだといよいよ、今のうち、車を遠い林道の駐車場に移動する
べきかも知れません。予報を信じて、もう少し様子を見るのが
よいのか「難しい判断」に迫られております?

今9:39am
そうこうする内に正にピーカンの快晴になってしまいました。
こういう時、殆どオンタイムなので、気象レーダーの画像は
役に立ちます。


工事の方は、カベと天井の境目のボロ隠しのため、コーナーに
細木を打っております。これが終われば、壁の漆喰塗りが
見えて来るので、これは嬉しいことです。ロフトは後回しですね。

2012年2月16日木曜日

御国(天国)

メール感謝です。皆さんがそんなに長い間(何年間も)
「御国」を学ばれているとは凄いですね。

御国と聞くと、私はある種の「興奮」を覚えるのを
禁じられません。だから御存知のことでしょうが
次のことを書かせて下さい。

聖書で言う国とは民主国家でなく王国です。
その王とは神、主キリストです。だから御国とは
具体的には「キリストの支配」ということになるでしょう。

そこでとても大切なことは、
その「主の支配」は私の生活において
今もう始まっていなければならない、ということです。

だから今日、王の支配の下に生きていない人が
ある日突然「気づいたら何と私は天国にいた」ということは
あり得ないことです。それはムリであり不自然です。

それは人の血肉を源とする宗教から発した希望的憶測に
過ぎません。原則的に神は「取ってつけたような不自然な
こと」はされません。だから「次の時代」においても、
その人が天国の支配を享受することはあり得ないことです。

逆に言うと、ある人が今現在、王国(神の支配)の中で
生きているのであれば、その人は次の時代(「御国が誰の
目にも明らかに出現し、神が義によって統治される時代)★
においても、無理なく自然に、自らも「御国の統治」に
あずかることでしょう。


「次の時代」に対応して「今の時代」があります。
今の時代において「御国の実際」は、この地上の
「ある部分には」確かに存在しているのですが、それは
キリスト者をも含め、殆どの人の目には隠されています。
福音書が言うように、今の時代における天国は、極めて
奥義的です。

だからこの時代において(いわゆるキリスト教の「天国に行く」
とは相当違うのですが)「天国は奪わなければならない」と
イエスはあえて言われたのです。その意味は、まず真剣に天国を
捜し求め、門を叩いて見出し「自分にとって殆ど耐え難いほどの
貴重な代価」※を払ってまで、自分の手で勝ち取らねばならない、
ということです。これがいわゆるイエスの「山上の教え」でも
あります。「先ず神の国と義とを求めなさい」(マタイ6の33)

※「自分にとって殆ど耐え難いほどの貴重な代価」とは
「自分の魂の命」を十字架の死に渡すことです。もしも私達が
そうするならば、「内なる人」の中の聖なる「霊の命」が腐敗した
魂の命にとって代わるいう「命の奇跡」を体験することでしょう。
(命とは当然、生きる為の力・エネルギーのことです。)

2012年2月13日月曜日

カベに穴を開ける

今殆ど、下のワンルームで暮らしており「全館暖房」は
していません。二階(ロフト)と和室、バスゾーンは
殆ど暖房から遮断しております。それでトイレは少し寒いのです。
(とは言っても結構暖気はどこからか流れて行くので、
耐えられない寒さになることはありません。)

さて「トイレ・洗面所」(バス)は一枚のカベで居間に
接しております。そこで居間・トイレ間の壁に穴を開けて、
居間の暖気が自然にトイレに流れて行くことを考えました。
というわけで昨日から、カベの上部への穴あけ工事に
かかっているのです。

ただトイレの音が居間に聞こえるようでは困ります。
客がいる場合の防音は何とかしなければなりません。
(ある算段はあるのですが、多分うまく行くだろうとは
思っております。)


この所ストーブの方は、薪を「少しずつ、しょっちゅう」
くべるのではなく、一度に大量に入れております。
これは「くべる」と言うよりは「詰め込む」ですね。

最初ゴーッと派手に燃やし、強烈な炎で煙突のススを
除去したいのです。貴重な情報なのですが、これが
うまく行くと煙突掃除の手間が省けると言う。さてこの
最初の段階では相当の熱が出ますが、それは短時間です。

次に、
空気を大幅に遮断します。この時間帯は正に煙が主役と
なって、煙が暖房するのです。(この時、外に出て見ると、
煙突からの煙がハッキリと見え、自然がくれるほのかないい
香りがあたりに漂っています。ああ山暮らしだな、と
「瞬間的な幸せ」を感じる時です。)この期間はうまく
行けば数時間に及び、しばらくすると

薪は徐々に大量のオキに変化して行きます。
この時間も結構長く、意外に熱量も相当あるのです。これは
ストーブが音もなくヒッソリと部屋を暖めてくれる時間帯です。
たとえオキがゴク僅かになったとしても、部屋の気温が翌朝、
「19度に低下」していたことは殆どなく、これまでの所
一回だけでした。

この①~③の総時間ですが、うまくやると12時間にも
及ぶようですが、「柴かりじいさん」の結果、この辺の森の特徴
上、赤松の朽木ならば意外と楽に入手できるかも知れなのです。
その結果、少し気が大きくなって、今は6時間間隔以内で
結構ドカドカと焚いているのです。(大丈夫かな)

2012年2月10日金曜日

シーズン中に煙突掃除か

今日のマキ作りは大いに進歩しました。
森の現場で、木を最終のマキにまでカットするのではなく、
適当に切った長い幹を車に乗せて、小屋まで運ぶのです。
この方法だと相当手間がはぶけそう。

それが分かっただけでなく
「どうもこのあたりの国有林は赤松の朽木でよければ、
意外に楽に入手できそうだ」とも。
そういうわけで、
私は今日の朝、冬の森の中で一人ほくそえんだのでした。
(その上、針葉樹の朽木というのは、普通1、2年もの
乾燥期間が全く不要というのもとてもラッキー)


マキストーブで一日24時間、一冬連続して暖房する
となると、ゴーゴー燃やしてばかりいるわけには行きません。
(睡眠中などは特に)

ではどうするか。
ストーブへの酸素を大幅にカットし、炎は殆ど出ない
ようにして、煙でストーブを熱くするのである。
こんなことは知りませんでしたね、マキストーブとは
「煙が主役」だなんて。(それでも22、3度を下ることは
殆どありません)

ところが、そういう焚き方ばかりしていると
ススが多く出て、煙突が詰まりやすいという。
特に赤松はそうだと。

これは困った。今度山を下りたら、煙突掃除の
大きなブラシを買ってこようか。

2012年2月9日木曜日

二つの事実

・・・言われる通りです。

神は最後のアダムの肉において、旧創造の総てに
死刑を執行されただけでなく、それを呪われました。

だからイエスは
「ユダヤ人の石打ち刑」で死ぬことは出来ませんでした。
なぜなら、神の心は旧創造を、死刑に処すだけでは満足される
ことはなく、その上旧創造をとことん呪う必要があったからです。
だから旧創造の一切は神から見て、単に終わらされただけでなく
死んだ忌まわしいヘビのように更に呪われ、汚れたものとして
捨て去られねばならなかったのです。イエスにおける十字架とは
何たる死刑であったことでしょう。

(この事実を私達は、
自分自身と、自分そのものと、自分に
属する一切の旧創造に一つ一つ適用するべきです。)

当然のことながら、イエスは神によって呪われたくはありません
でした。にもかかわらず「ただみこころであるが故に」十字架に
向かわれたイエスの苦悩は、実にその点にあった筈です。
しかし彼は自分を否み、十字架に向かわれました。
それはひとえに父へ従順と私たちへの愛の故でした。
「彼は・・死にまで従い、実に十字架の死にまでも
従順になられた。」(ピリピ2の8)

以上のことは神の側では、
永遠において、キリストの中で、また法的に
完成しております。

今、時空の中にいる私達がするべきことは
苦悩するイエスとは異なり、ただ、
上の事実を信じ「安息する」ことです。
何と幸いなことでしょう。
これは日に何回でもするべきです。


もう一つの真理があります。それは
信仰・「信じること」とは、知的操作などではなく、
本質上それは霊的なものであり、その中には
永遠の性質がある、と言うことです。

だから、2千年前の
「永遠の性質を持つ十字架の事実」は
それと同質の
「信仰という霊的、永遠的なもの」と結合し
(或はそれに乗って)2千年後の私達の現実の中に
まるで宅急便のように届けられ得る、という驚くべき事実です。
何故ならそれはキリストイエス「の」信仰であるからです。
(ガラテヤ2の16その他、原文)

森の「だるま落とし」

「柴かりじいさん」(即席薪つくり)は順調です。
今日は、小一時間で、二日分は作れたでしょうか。
朝は雪模様だったので、正午過ぎから始めたのですが、
現場が近いせいもあって、カットしたマキを1時半には
全部・南デッキに積み上げることができたのです。

午前中は、居間のボード工事も完成させたと言うのに、最近
どこからか「大きな元気を貰ったのかな」と思うほどです。
本当に有難いことです。

赤松を下からカットして行くと、映像で見るように、木全体が
ドサッとは倒れません。まるで「だるま落とし」のように
突っ立ったまま、ストンストンと木が短くなって行くのです。
これはとても面白い現象です。答えは
ほったらかされた森だから、樹木達の上部がツルなどでからみ
合ってそれで倒れないのです。

2012年2月7日火曜日

「柴かりじいさん」はできそう

昨夜来の雨である。田村市の今日の予報はプラス1~
4度で、3時まで雨は続くという。見ると西デッキの
巨大な雪のカタマリはもう半分に減っている。3時
までだと、あの大雪も7割方は消えるであろう。

きのうは、チェンソーのチェーンの取替えに手間取り、
「柴かりじいさん」の試みはゴク短時間となったが
いくつかの事実は判明した。

枯れ木の殆どは赤松であり、これはヤニの油があるからよく
燃える。今日森から取ってきたマキをスグに燃やさねば
ならない私にとってはうってつけであり、こんなに有難い
ことはない。思えば、つい昨日まで風雪の中、長年森に立って
いた赤松が、今現在この部屋を30度に暖めてくれている、
という事実に小さな感動。

倒木、朽木は結構あることはあるが、周囲を取りつくせば
どうしても遠くへと距離は伸びる。要するに運搬の問題が
浮上する。柴かりじいさんの問題は伐採よりも運搬なのだ。

だからいずれ、ライトバンの車で出かけ、道路のスグそばの
枯れ木を切断して運んでくる、ということになる。と言う
ことは大雪の場合、これは不可能である。だから、どう見ても、
その日暮らしの柴かりじいさんは今年限りにしなければならない。

やはり雪の中の作業は大変。森の中で木をカット出来たとしても、
湿って重い雪の中、それを道路まで運ぶのは結構しんどい。
やはりこの場合も、問題は「運ぶこと」である。要するに
「マキ問題とは運搬の問題」と言えそうである。

幸い、このストーブは60センチ近くのマキをくべる
ことが出来る。これは柴かりじいさんの、林でのカット作業を
大いに軽減してくれる。これも有難いことだ。


もう3週間も過ごせば早3月。そうなれば、徐々にマキの
消費は減ってくる。結論として、今年限りの
「柴かりじいさん」は何とか可能なのではなかろうか。
まずはよかった。



万物が「万象」を構成しています。その万象の中に、
神の敵である「超自然的な生き物達」が暗躍し、人の
外側から「人を神から遠ざける力(死の力)」を常に送り
続けています。それに加え、

人の内部の肉は、その外側からの暗躍と直ちに「反応」し
(肉の働きも万象の一部です)この2者は協力して、何と
人の霊の中の聖霊をも圧迫しているのです。

しかしこの時、人が
・明確に聖霊の側につき
・感情を伴なって上記の反応を心から憎み
・当面する現象の背後に回って立ち、
・それら敵の送る死の現象を断固拒絶し、可能なら
・それら死の現象の「源達」を、内側から外側に向かって
神の真理を用いて糾弾し、押し返す意志を持つことが
出来るならば・・(以上をパウロは「立つ」という一語で
表現しています。)

その時に初めて、聖霊でさえその隠れた力を発揮する権利を得、
敵とは逆方向、内側から外側へと、天的な力を及ぼすことが
可能となります。ここにこそ人の望みがあるのです。

2012年2月6日月曜日

チェンソーはちゃんと動くかな

少し困難な作業をする場合、
大切なことはふさわしい装備である。氷点下の森での
作業によい装備は欠かせない。
というわけで、防寒靴と防寒手袋を準備した。
長靴は弘進ゴムという会社のシーラックスライトSF1146WMSNS
手袋はショーワグローブ株式会社の防寒テムレスと言う商品、
これらをワークショップオオタというところから、
ネットで購入したのである。

きのう
ある場所の「地下の地下」を見たら、結構な量のマキを発見した。
それも我が家としては結構良質。これはいいぞと
「地下の地下」の狭いせまい空間に腹ばいになり、もぐり込んで
全身土まみれになりながら「あんたはもうすぐ71だぞ」と自分に
言いながら、全部の薪をようやく取り上げた。
大変だったが、これでもう4、5日は持ちそうである。

さてと
幸い今日はすばらしい好天。これをチャンスと、これから新しい
長靴と手袋を着用し、必要ならスノウシューもつけて
「柴かりじいさん」の予行演習をしてみようかな、と思っている。
「ホンと一体どうなるのかな」と我ながら少し緊張の
面持ちである。それはそうと、チェンソーはちゃんと
動いてくれるだろうか。

2012年2月5日日曜日

ミニダッチオーヴン

明日から数日、雪もようの予報である。
きのう夕方、車を林道に置いてきた。これで少し
積もれば、いよいよ遠い遠い駐車場生活が始まるのだ。

しかし「ソリ」はムリである。
昨日歩いてみて、改めて坂のきつさに驚いた。
でもスノーシューは面白そうだし(きのうホコリを
そうじした)短いスキーも楽しいかも知れない。

マキの方は、昨日地下に隠れていたマキを発見。
これでもう2、3日は生き延びられそう。でも
その後は、地下内外の「木のゴミ」拾いをすることになり、
それも尽きれば、本当に「柴かりじいさん」が始まる。

この間、ジョイフルホンダで、フライパン型、ミニダッチ
オーヴンを買ってきた。この中にイモ、野菜、肉、魚を
無造作に放り込んでおくだけ。今、ストーブの上から、
サツマイモのほのかな香りが漂ってきた。

2012年2月4日土曜日

内なる人、外なる人、最も外なる人

メール有難うございました。
・・・
人とは実に複雑な存在ですが、
「本当の私」とは実は私の霊です。
これがペテロが言う「内なる人」です。
しかし、その私の霊という部屋の、さらに奥に、
聖霊という、完全な女主人のように、天の英知に富み、
とても静かで上品なお方が(おられないかのようにして)
チャンとおられるのです。

ところが
私の部屋の外側の部屋には、「感情」と「思い」
という「外なる人達」が「あからさまに」いるのです。

彼等は、自分がまるで主人か神かのようにして結構
身勝手にふるまい勝ちです。それは私たちが、
何の疑うこともなく「この人たち」を自分の中心
であると、長い間信じて来たからです。

しかし、私たちがクリスチャンになった今となっては
彼等は、自分の部屋に静かに控え、大人しく待機しているべき
であり、衝動的な「一人走り」など許されてはなりません。

さて私が、
奥の女主人の極めて静かな「命令、意志、お心」を
察知する時に、

(ただし、この命令は私が、自分の胸の鼓動と呼吸をいつも
静かに保っていないと、簡単に聞き逃がしてしまうでしょう。)

その女主人の命令を、自分の意志としてシッカリと受け取り
「主よ、私は今あなたの意志を自分の意志として行います!」と
「立ち上がって」外の部屋で控えている思いと感情に命じ
それを実行させるのです。

その時には、「最も外なる人」である私の体も
思いと感情に従って「自然に無理なく」ついて来るでしょう。

さて女主人は、実を言えば、とても力のあるお方であって、
上記のように私が立ち上がった瞬間に初めて、天的で不思議な
力を、私の魂と体にさえ送って下さいます。だから私の魂と体は
実に妙なる方法で、日常生活のただ中においても、みこころ(神の
意志、神のよろこび、神の幸福)を実行できるのだと思います。

それはその時「霊、魂、体」間にあるべき本来の調和が
「自然に無理なく」現れるからです。

以上のことを、顔を洗い、トイレに行く時でさえ(まずは呼吸を
整え「主よ私の取るべき、あなたの「みこころ」は今何でしょう
か」と言いながら)毎日練習し続けるならば、日々無数の
「つまらない時」が総てたちまち、素晴らしい「神の訓練の時」と
変わってしまうのではないでしょうか。神からご覧になると、
私たちの24時間に、無駄な時間など一瞬もないようですね。

PS:
聖書では、非キリスト者をも含め、普通は、上記の
「外なる人」即ち魂を「人」或は人の「自己」と呼ぶことが
むしろ多いですし、これが普通一般の見方でもあります。

また注意するべきは、神は直接、外なる人(魂、即ち、思いや
感情)や最外部の体に、ご自身のみこころを示すことはあり得ず、
そんなことをするのは神の敵、悪霊である、と言うことです。

2012年2月2日木曜日

「柴かりじいさん」は可能か

マキが底をつき始めている。
たくわえはいいところ、もう2、3日分しかないのだが
いまさら灯油を燃やす気には到底ならない。
だから何とかしてマキを入手しなければならないのだ。
そこで私の考えた「即席マキ入手方法」
それが「柴かりじいさん」なのである。

現代版、柴刈り爺さんの方法はいたって単純:
「明日焚く薪」を「今日中に」山から取って来る
というものである。毎日、日中のある時間を確保し、チェンソーを
手に持ち、森に入って「倒木や朽木だけを」その場でカットし、
ダンボールに詰め、小屋に持ち帰るのである。
一日ダンボール4個あれば何とかなり、5個持ち帰れれば
御の字であろう。それだけあれば、小屋中、24時間
快適この上ない空調が確保されるのだ。


しかしながら今どき、こんな話は私も聞いたことがない。
現実問題、「柴かりじいさん」は可能なのであろうか。

事前にいろいろと考えて見ると確かに問題点は
いくつかある。例えば、今年のこの雪の深さで大丈夫?
そんなに簡単に朽木が見つかるのか、倒木の燃えぐあいは
いかに、また当然のこと大問題は、既に古希を迎えた私の
体力や忍耐力である。

大切なことは、
作業時間は一日1時間を越えないこと。誰もいない氷点下の
森で、毎日長時間・重労働をするのは心身への危険が大きい。
それは続かないし、何かあって大声を張り上げても誰も来ては
くれない。だから結局、要点は「1時間でダンボール5個が
可能か」と言うことになる。それにしても、実際に山に入る
初日はいつになるのかな。

結果、
「意外に簡単でした」と出るのか、「到底ムリムリ」と出るのか、
とにかく、やって見る以外に今の所、他の方法はないのである。

2012年2月1日水曜日

この手はどうだろう

地理的には、太平洋に面する阿武隈の
本格的な積雪はむしろ2月から3月である。
特に今年の場合、今後またどっさりと雪が降り積もるのは
覚悟しなければならないだろう。

例のロイヤルロード・150メートルの坂道のことだが、
先ほどフト、あんな大変な思いをしてまで
(或は「大金」を払ってまで)
何も雪かきなどしなくてもよいではないか、
と思った。

どうするのか、
車は、自治体が「ただで」雪かきをしてくれる林道に置け
ばいいのだ。要は、駐車場がえらく遠くなるだけのこと。
埼玉に住んでいたときも駐車場は随分遠かった。

確かに深い雪の中、林道から、人力で荷物を小屋まで
運び上げるのは一苦労には違いない。
それをどうするかはこれからの工夫だが、

信州は川上村の田淵義男さんのように
大雪の春浅き夕暮れ、足にはスノーシューをはき、雪の
てっぺんを、荷物は「雪ぞり」に乗せて、ただ一人黙々と
山道を上る、と言う「ロマンチックな」方法も
ないわけではない。