2011年10月4日火曜日

イノシシを見たければ夕方です

しばらく実家におりました。
きのう夕方、散歩のとちゅう数頭のイノシシの子供を
見ました。もう相当大きくなっており、ころころと太って、
私の後ろの道を一頭づつ、大急ぎで横切って行く姿が
かわいかったです。親が近くのシゲミで、これまで私が
知らなかった不思議な声を発しました。
私を威嚇(いかく)したのでしょうか。


さて、
ダビデもイエスもパウロもみな神のみこころを
とても大切にしました。ただ一度の人生、
私たちが一生懸命、いろんなことを成しとげたとしても、
それらが「神のみこころ」の中心になかったとしたら、
私の人生にどんな意味や価値があるでしょう。
彼等は、何にもましてこの事実を深く考え、
常に自分の歩みを注意深く点検していたはずです。

今の時代、キリスト者が
「神のみこころとは一体なんであろうか」と
言う話をすることさえ少ないようですが、
みこころということばに注意していると、それは聖書の中に
相当頻繁(ひんぱんに)に出てくることが分ります。

寒くなりました。本腰を入れて冬じたくを
しなければなりません。

2 件のコメント:

電気屋 さんのコメント...

野生の動物を見るのは何だかワクワクする出来事ですね。
主が養っているのを見る機会でもあります。

うちもイノシシふえてますが、ある意味では熊より危ないとも言われていますのでお互い気を付けて森をあゆんでいきたいですね。

Mr.Sugar さんのコメント...

確かに。
あの時、親イノシシが決意して
私に猪突猛進して来たら
命も危なかったでしょう。

小さな森の散歩でさえ、
十分に危険です。