2011年9月2日金曜日

完成する前にクサレかけた

昨日は雨の合間を見て
とても古くなったロフトのデッキの修復にかかりました。
この小屋はまだ完成していないのにもう腐りかけている
のです。(これは何かを表していないでしょうか。)


聖書の通読、旧約は今まだ詩篇です。詩篇26の4~8:

①私は不真実な人と共に座らず、偽善者と共に行きません。・・
②主よ、私は手を洗ってきよくし、あなたの祭壇の回りを
歩きましょう。
③感謝の声を聞こえさせ、あなたの奇しき御業を余す
ところなく、語り告げましょう。
④主よ、私はあなたのおられる家と、あなたの栄光の
住まう所を愛します。

この旧約時代のダビデの言葉の中に
新約の②キリストの血と③私達の宣言と、そして④エクレシアが
あります。

②祭壇とは新約では十字架です。ここにおいてダビデは
動物の血から見る真の子羊・主の血を、彼の生活の場において
あり難くいただき、日常どうしても自分の手が触れてしまう
小さな罪やけがれ、過失、失敗をさえ、ただイエスの血によって
そのツド洗っていたことでしょう。

③「くすしき」とはヘブル語のpala'で
「ワンダフル 不思議な、考えられないような」と言う
意味だそうで、正に新約とピタリです。
これは明らかにキリストの十字架、復活、昇天、御座を
言っています。私達はこのイエスの圧倒的な勝利と敵の敗北を、
総ての造られた者達に日々「声に聞こえさせ、余すところなく、
語り告げる」必要があります。

④神の家は当然新約ではエクレシアです。私たちが愛すべきものは、
ただ主とそして神が愛するもの、即ち神の家以外にはありません。

①しかしまた私達は「この世との交流」には十分気を配る
必要があります。私達は絶対に修道院に行くべきではありませんが
この世と「共に座り、行く」べきでもありません。



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