神は何故か私達の
普通の生活を、ことのほか重んじられます。
福音書を見てもイエスは、人による人らしい生活の
中にこそ、あえて入って来られたように見えます。※1
そして時に、とても当たり前のように不思議を
されました。
それは実に自然だったので、何千人もの人々に、
パンと魚を満腹するほど食べさせられた時でさえ、
騒ぎ出す人はいなかったのです。※2。
そのこと自体がまた大きな不思議ですが
しかし御国の王イエスにとってそれは正常です。
おびただしい群集は実に整然としており、とても
静かでした。記者もそれをさりげなく書いています。
このさり気なさが、このエクレシアの時代における
みこころです。この時代における神の方法、
イエスによる支配の様は、
神の法に従った地球の運行のように
美しくまた静かです。
※1
多くは自然な食事の場面、人の病や死という悲しみの
場面、婚礼、旅行、男達が仕事に疲れた場面等です。
「集中的に私を拝みなさい」と言ってイエスが
ウヤウヤしく現れた、などと言う場面はありません。
※2
事後、自分のためにイエスの力を利用しようとした
ある人々が騒ぎだしたことを聖書は告げています。
これはみこころではなく不法です。
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