2010年10月21日木曜日

とても困難な時代

中国において キリスト者が
「ひどい」迫害(はくがい)を受けた時期(じき)は、
およそ30年間に及び、
1950年ころから 80年ころまでと言えるでしょう。
(しかし今でさえ迫害は十分に存在しています。)

それではこの間に何があったのでしょう。
それは要するに
「おもて・形に表れた宗教的な一切」が破壊(はかい)
された、と表現できるかも知れません。

それでは
「形に表れた宗教的なもの」とは何でしょうか。
それは先ずは物であり建物であり看板(かんばん)です。

そして更(さら)にそれは 宗教的な組織(そしき)に及
(およ)び 宗教の中の様々な役職(やくしょく)についている
人々に及びました。(あるいは人に付随(ふずい)した宗教的な
役職と言うべきかも知れませんが・・)
それらはとても目立ちハッキリしているものなので
サタンの怒りはそれらをイトも簡単に破壊したはずです。
そのようにして遂(つい)に迫害は「目に見える物」である
「キリスト者の肉体」にまで及(およ)んで行ったのです。

そのような中
おそろしい破壊を目の当たりにした時 キリスト者の魂は
必ず大いに揺(ゆ)さぶられたに違いありません。
人の魂は感情、思い、意志から成っているのですが・・

まずは彼らの「感覚、感情」は簡単に
動揺(どうよう)したはずです。
そしてそのような時 彼らの思い、思考があれやこれやと
自分の「人生の損得(そんとく)」について思い
めぐらせるならば もう勝負はついたも同様です。

最後に彼らの意志でさえ 
見えない ほえたけるシシの脅迫(きょうはく)に
あえなく屈(くっ)したことでしょう。
「総ての人のありかた」は最後に人の意志が決定するからです。
そのようにして
「人の魂である人自身」が悪魔の前に
完全に敗北してしまった、と言えるでしょう。

0 件のコメント: