キリストの完全な御業
すなわち あがない、復活、そして御座により
私は今日キリストと一つにされていることを感謝します。
今日 あなたが許される「小さな死のチャンス」を見逃す
ことがありませんように。その時、私と「その死の状況」に対して
「キリストの死」を適用し、この世に対し 私が
霊的に完全に死ぬことが出来ますように。
今日 敵の攻撃に対し 常に目を覚ましていることが
出来ますように。敵から来るホンのわずかの「わが思いへの進入」も
決して許すことがありませんように。
そのために今日 あなたの敵を 真理によって追いつめる
ことを絶えず実行させてください。
神よ この時代における
あなたの御計画そして御心が 今日こそ前進しますように。
*
「その死の状況」とは敵から来るもので、
私を「神と命」から切り離すように働きます。方や
「小さな死のチャンス」や「キリストの死」における「神からの死」は一見
敵から来ると見えて実は 敵と死の状況から、私を切り離すように働きます。
或いは、それが敵からの死であったとしても その死の状況を神の手から
受け入れる時、それは神からの死となり、必ず復活へと至る と言えます。
あのキリストの十字架において
そこに存在したのは 神とサタンによる激しい「死の攻防」でした。
しかしその戦闘の周辺においては無論のこと その戦いの本質を知る者は
当分の間 皆無(かいむ)であったのではないでしょうか。
2 件のコメント:
この祈りが御霊の祈りとなり私の祈りともなりますように。
「この世に対して完全に死にますように。」
その通りだと思います。
完全に死んでいるならサタンは何も出来ません。
ただイエスだけが完全に死んだものを復活させることが出来ます。
キリストの十字架の死も復活も
永遠性のものなので
「聖霊が同在している私達の霊」
によって信じるときに、
時空を超えて
2000年前の効力が
私に及ぶ、と言う奇跡を信じます。
私達の肉体は時空のものですが
私達の中にも永遠性のもの
即ち「聖霊が同在する霊」と信仰
が 無代価で与えられていることは
驚きです。
この私の中に
「永遠」が存在するとは
「信じられないような」事実です。
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