18日東京で ある小さなキリスト者の集まりがもたれます。
私はそれにゼヒ参加したいものと、かねてからとても楽しみにして
おりました。またそれに参加出来ることは、どこから見ても
とても素晴らしいことであるはずです。ところが 突然このたび
「私関連(かんれん)の あまり起こりえないであろう出来事」が
発生し、来週の下山は延期(えんき)するべきであると、
今感じさせられているのです。
このことは私本人にとっても ちょっと奇妙(きみょう)なことでした。
と言うのは・・
その集まりに私が出られないことは 私にとっては残念なことであり、
また或いは その集まりの人々には 少しばかり
失礼にあたることに なるのかも知れないからです。
そして逆に「私関連のある出来事」の方は もしも私が少し自分の主張を
すれば 十分突き破られる性質のものです。即ちホンの少しムリをする
だけで、私はその集まりに出かけられるのです。そうすれば
「万事がめでたし」と言う結果になることは明らかです。ですから私が今回
予定通り下山しないことは はなはだ合理性に欠けるとも言えるでしょう。
ところが、結論として
私は 例の「私関連の出来事」を鑑(かんが)みる時 やはり下山は
このたび延期するべきである、という感じはぬぐえないのです。これは
永遠の中でさえ、どのような合理性があるのか 今の私には分かりません。
ただ 私が「神の御心」に向かおうとするとき、神はしばしば 私を
敢(あ)えて「完全な静止状態」に置かれる」と言う「不合理な」
手段(しゅだん)を取られるお方であることは 認めざるを得ないのです。
と言うわけで、次の下山は多分23日となるでしょう。
4 件のコメント:
Mr.Sugerさんが例え、良心にせめられても人知をはるかに超えた主の御心に歩まれますように。
自分で納得出来なくとも
ただ、神にだけ納得していただく生き方あこがれます。
主にある兄弟
今日のコメント、本当に
あり難く読ませていただきました。
このような ささやかな出来事を
通しても
ただ神にのみ 栄光が帰されますように。
主にある兄弟
よい言葉です。
兄、イエスに繋がる兄弟に混ぜていただいた特権、有り難いです。
そうです。神にただ神にありますように。
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