さあ そのような祈りをしていたら、ある日ある時「それらしき
チャンス」が突然(とつぜん)訪れたのです。その時あなたは
これは主がアレンジされた状況(じょうきょう)であるとすぐに分かり
ました。ですから このチャンスを逃(のが)すわけには行きません。
あなたは遂(つい)にミスターKに話を切り出すのです、
「ミスターK、私は実はクリスチャンです・・」と。
①その結果しかし、仮(かり)に
ミスターKが 何らかの理由で怒りだし、そのよく日から
あなたをあなたの部署(ぶしょ)内で いじめ迫害(はくがい)し始め、
遂にはクビにしたとしても それはそれですばらしい
ことではないでしょうか。
なぜなら、
・一面、あなたはミスターKを愛し、彼の「永遠の福祉(ふくし)」
をねがい、彼の益のために、キリストを紹介(しょうかい)しようと
したからです。しかし、実はもう一面が必要です。
それは
・あなたの行動が 生まれながらのあなたから出た
単なる人の熱心さからの「伝道」でないことです。
すなわち、あなたは先ずは何よりも神の御心を尊重(そんちょう)し、
その御心の中で導かれ、そして 忍耐(にんたい)の中で神が動かれるのを
待った結果 神ご自身がその状況(じょうきょう)を「創造」され、そして
それに呼応(こおう)することによって あなたは初めて行動したのです。
もしもそうであったとすれば、今回のあなたの行為は100%
「神から」であったことが分かります。そのように
神の前において さきほどの条件(愛と御心)を経過(けいか)した
行動こそが「人がなし得る最高の行い」と言えるのではないでしょうか。
なぜなら、そこには既(すで)に あなたの隠(かく)された
十字架(すなわち あなたの死)さえあるからです。
もしもその結果、それがあなたに対する迫害(はくがい)であったとしても
それは 神とあなたにとって 大いなる益(えき)であり、何らの損失
(そんしつ)ではないはずです。(それは1%も「肉のかり取り」では
ありません。)それこそは 真の「あなたとキリストの」十字架です。
だからこそ、イエス様も言われたのです・・
「私のために」ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしない
ことで悪口雑言(あっこうぞうごん)を言われたりするとき、
あなたがたは幸いです。喜びなさい、喜びおどりなさい。天において
あなたがたの報(むく)いは大きいのだから。(マタイ5の11、12)
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私の個人的な感じでは、彼が怒りだす可能性(かのうせい)は
とても低い のではないかと思います。
1 件のコメント:
そうですね。私も迫害になる可能性はとても低いと思います。しかし、なぜ今まで気づかなかったのでしょうか! 主のはからいで、キリストを語るチャンスがあたえれれることを!!考えただけで、うれしくてたまりません。肩の荷が下りました。今までは、どうしたら伝えられるだろうかと、考えてばかりいたからです。
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