葬事とは埋葬することです。ですから、
人の体が死を迎えたら、なるべく早くそれを地下に
埋葬するべきです。それが葬事の本質です。
さて、実は
人が死ぬことは神の御心の中心です。人にとって死は欠くことの
出来ない重要事項である、人は必ず死なねばならない、
それが神の御心です。
しかし神の御心は、それに留まりません。神は人をして
更にその「死の深い認識」に至って欲しいのです。
従って、ある人の死の事を聞いて知るだけでなく、通常人々は
その人の埋葬に立会います。それによって、言わば「死の上塗り」
を目撃しなければならないのです。今あの人は死んだ、彼はもう
この世に戻ることはあり得ない、墓にさえ入ってしまったのだから、
と深く印象づけられるのです。それこそ葬事・埋葬の意義です。
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実はキリスト者のバプテスマとはその埋葬を意味します。
信じることによって、神の命を受けたキリスト者は、
自分が既にキリストと共に死んでしまった、と言う認識の後、
更に死の水の中へと自分を埋葬させることをもって初めて、
クリスチャン生活のスタート地点に至るのです。
それがなければ、キリスト者の生活(命ではなく)は
根本的に存在し得ない、と言ってもよいでしょう。
何故なら人は、徹底的な死に至って初めて、
次なる復活があり得るからです。埋葬されること、
即ち絶対に生き返る余地を残さない墓に入ってこそ、
人は初めて復活と復活の生活に至ることが出来るのです。
人は、
アダムから受け継いだ「通常の生、天然の生」を伴ったまま
必ず死の中へと入って行かねばなりません。それによって、
その古き天然の生を完全に終結させ、その上に
埋葬によってその事実を確認した後、
初めて「卓越した生による生活」の中へと入るのです。
その「極めて卓越した、完全に新しい生」、
それこそが、キリストの復活から生ずる
あの永遠の命に他なりません。
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