主人を今朝
外来での化学療法のため、病院に送ってきました。
今頃は、抗がん剤治療の真っ最中です。
駐車場に向かいながら
「主よ・・」と主の御名を呼びつつ、歩いていた。
そのとき、
「私のために祈っていただけませんか・・」と
ささやく主のみ声を内側に聞き、私はただ溢れる涙。
夫のために祈る事は、主のために祈る事、
主は「私のために・・」と語られた、夫のことを。
「夫は主のものである」と宣言し祈る。
もう主のいのちの中に入れられてしまった夫、
もうインプラントされてしまった彼へ、
この驚くべき恵み。
*
「わたしは心優しく、へりくだっているから、
あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。
そうすれば、たましいに安らぎが来ます。」
とおっしゃられた主のくびき、何と甘い事でしょう。
主のへりくだりを知るとき、
喜びを持ってともにくびきを負う恵みに、
むせび泣くしかない者です。
*
今度は私の透析治療の時、
私は涙ながらに詩篇27の4から6を読みながら、
私の求めるものは、ただただキリストご自身であること
もはや、主人の病のことではない、それよりはむしろ
主人の内に脈々と息づくキリストを見たい、
ただその御顔を求めます、と祈りました。
☆
candyさん(さっちゃんさん)
無断で一部を少し変え転載しました。お許しください。
皆さん、candyさんのブログは:イエスの喜びと満足のために
2 件のコメント:
感謝します。
キリストがどのようなお方であるのか、そのいのちが流れ出ることだけが、主の満足。わたしの文章が変わることなど二の次の次。
むしろ、まとめてくださって心から感謝します。
主の御名がたたえられますように!
有難うございます。
今朝も不思議な朝でした。
この時代 確かに
命の中のイエスと私達との
「もはや分けられ得ない一つ」に
主の微笑みがあると
信じさせられております。
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