5/21~6/13まで ドイツに行ってきます。これは
シュツットガルトの近く チュービンゲンと言う町の教会の長老が
以前から私を招いてくれていたもので とうとう今回 多分実現するだろう
と言うことになっているのです。
実現するだろう と言うのは 総ては神の手の中にあり、また
私も 積極的に一切を主に委ねたい と言う意味です。
目的はただ 交わり:
諸教会が集まるチャンスもありそうです。ぜひ 彼らから流れて来る
生けるキリストに あずかりたいものですし、また私が最近 主によって
見せられ 経験したものをも交わって来たいと思っております。
* *
交わりとは 不思議なものです。それは決して
話し合いや説得ではありませんし また「教えてあげる」でもないのです。
真の交わり、その中からは うるおし供給するもの、そして何か光りを発し、
また 生きて流れ、また飛び出して来るようなものさえあるのです。
それは単なる会話ではなく ある「天的実質」であり、
その実質は 後日 必ず時空の中で「実体化」するのです。
なぜなら 交わりのリアリティは 復活のキリストご自身であるからです。
更にもう一つ:
もしも、交わりと言うものの実際が、そして教会と言うものの実際が
総ての聖徒間を流れる 今日の奥義的キリストご自身であるとするならば、
私達が 少数のキリスト者間の小さなな交わりに過ぎないと
思っているような交わりでさえ 必ずある影響力を キリストの体全体に
与えずにはおかない ことになるのです。
「生きている体」とは そういうものではないでしょうか。
従って 例えば 私が日本の千葉県で持つある交わりと、いずれドイツの
チュービンゲンで持つ交わりとは キリストの体の命の中では
完全に一つの中にある と言えるでしょう。
(もしもそれが 真の交わりであるならば)
* *
私は今 これからの私のドイツ滞在が そのような
キリストの体の中における 命の交流の日々になることを
ひたすら主に願っているのです。
皆様方も このことを是非 お祈りに覚えて下さるよう
お願い申し上げます。
PS. もし可能であれば、
ドイツでも「山暮らしのキリスト」を
発信したいと思っているのですが・・・
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