きのう午後遅く小屋に帰って来ました。
で、その第一感覚がこれ。
65歳 たった一人のロングドライブの疲れのためか
夏井川のあたりから チラチラとそうだった。
右手首の腱鞘炎は治らない、全身の筋肉は加速度的に
その老化の度を加え、
体全体が 着実にそのサビつきを増している実感。
これから 私は一体どうなるの と。
小屋に落ち着いてみれば なおさらの事 迫り来る夕闇に
見慣れた向こうの山影も 人を吸い寄せる悪魔のマントに
見えないこともない。
これがあの 得体の知れない人生の寂寥感というものか。
私は中高年男性の自殺者を 笑う気になどなれないのです。
でもね、ここからが私のユニークさ。聞いて下さい。
ウソみたいなホントの話。
ハイ その秘訣はこんなところにあるんです。それは:
ある一つの事実「私とキリストとの一つの命」という事実に戻るだけ。
どうなのでしょう皆さん 本音のところ
人生の淋しさと言う あの深く手ごわい空虚感の解消は、
誰かと「命の中でさえ一つである」と言う事実と、
そして その事実に信頼を置く時 そのあとに ジワリと訪れる
その人との内的一体感、またそこから来る
とても奥深い親密な暖かさにタッチされること、
これ以外のどにある得るのでしょうか。
4 件のコメント:
お帰りなさい。佐藤さんから集まりがあったという事少しお聞きしました。ハレルヤですね。
主とひとつであることが経験となっているなら、それはもう事実なんですね。事実だという事がわかった今、何かすごく感動しちゃっています。
急転直下とは行かないまでも・・・かなり回復しそうです。
これ私の意見ですが
パウロをあそこまで行かせた隠れたエネルギーは愛ですね。どういう愛?:主イエスよ、
あなたは私です、そして私はあなたです!
だから彼は言ったのです:
「私にとっては 生きることはキリストです」と。ピリピ1の21
多分 葡萄の枝には 部分感覚はないでしょう。私達も 葡萄の枝を見て、これは枝だとは感じません、これは葡萄の樹と思うだけです。枝を切り取れば別ですが・・。だから私達も、主よ 私はあなたと一つです!と宣言するべきなのです。少々ずうずうしくネ。
主との交わりを楽しみます。隠れた
ところにおられる方から、エネルギーを
いただくために。
感謝します。
霊的温泉に、十分浸かって
元気になりました!感謝です。
ブログってかなり不思議です。
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