逆境の時
キリスト者と言えども キリストと共に
その中を経過して行くことは簡単ではない。
私たちはそのような時 とてもたやすくただ
逆境からの解放の願望と言う唯一の穴の中に
閉じ込められてしまうからである。
しかし順境の時
「この時代の風」の中、
真にキリストの中を歩むのは
なお更むずかしいのではなかろうか。
もとより、順境に至る事、順境を獲得することに
価値があるのではない。
このような享楽的な時代 将来の自分の地獄の穴を掘らずに
平凡な日常を送れる人は 極めてまれであろうと私は思う。
要するに 順境であろうが 逆境であろうが
人でありさえすれば
人生は日々刻々むずかしいのである。
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