神は、人が
心の最も深い所(人の霊)から
真理や自分の正直な感覚を
①「総ての存在」(宇宙)に向かって
声に出して発すること(宣告と言ってもよいでしょう)を
とても喜ばれます。しかしそれがツブヤキにならないように
気をつけましょう。
「総ての存在」を個々に言えば
②まず第一に神です。(当然これが一番多い)
③次に神の敵に、です
④第三に自分、⑤さらに人間に、
⑥そしてあるいは「下等な生き物や無生物に対して」も
含まれるかも知れません。
(⑥のヒントが聖書に無いわけではないのです。しかし
それは多分その背後にいる悪霊に対してでしょう。)
③は「悪霊への糾弾(きゅうだん)」或は
「証しのことば」と呼ばれます。
またせまい意味では②だけを「祈り」と言いますが、
イエスは⑥を「祈り」に加えたことがあります。
しかしその点はどうでも「自分の霊から正直に、
ハッキリと外に向かって声を発すること」が肝心なのです。
詩篇とはこの①から⑥の書であり、詩篇は全編とても
すばらしい「祈祷書」であると言えるかも知れません。
詩篇のどの部分が何番であるかを調べるのは楽しい作業ですが、
その境界がハッキリしないことも多いです。
(その部分は①であると言えば間違いないでしょう。)
それにつけても、詩篇のほとんどの部分が、神の敵を意識し、
悪霊に強く対抗していることには驚くばかりですが
そのようなダビデ達の「明確な意識と声」こそが、当時に
おける時代を転換(てんかん)してしまったのです。
今日と言う時代における神の最大の必要も、
そのようなキリスト者達のハッキリとした「意識と声」
であることは明白です。
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