昨日は何と、森に散らばっているマキを全部、
(一年分はあると言う)
完成したマキ置き場につむ所まで行ったのです。
今日はマキ置き場にヤネをかけます。
当たり前ですが、
屋根をつければ、生木も早く乾(かわ)くからです。
★コロサイ2の10の別訳(やく)★
あなた方(エクレシア)は、総ての
「支配たち・権威(けんい)たち」の頭(かしら)キリスト
の中で(キリストに)満ち満ちている。
*
支配達、権威達とは、天にいる
サタンの手下である堕落(だらく)した「もと」天使達です。
彼らはサタンの大幹部(かんぶ)です。
地上の悪鬼達とは、その幹部の「下ばたらき」達です。
ここでパウロはあえて、
「堕落天使達の頭は(サタンでなく)キリストである」
と言っています。
この真理は悪霊達(堕落天使達、悪鬼達)を
大いに悩ませる宣言となりえます。なぜなら、
サタンの手下どもは、一時的にせよ、それを聞くと
大いにドッキリとし、誰に従ったらよいか分らなくなるからです。
結局、彼等はにげるしか手がなくなります。(法をつきつけ
られると「地上の悪い人間」も同様の反応をしますが、
これは悪人の法則です。)
もう一つ素晴らしいことは、パウロが
「エクレシアは、そのキリストと一つであり、
そのキリストに満ち満ちている」と言っていることです。
エクレシアの中には、この事実があるからこそ、創世記で、神が人に
ついて、エデンの園の中のかくれた悪者達を「治めさせよう」と
言われた言葉は、今現在においてこそ有効(ゆうこう)なのです。
またこれはイエスが
「キリスト者をこの地上につかわす」
と言われたこととも一ちします。(ヨハネ福音17ノ18)
しかし、私たちが、たとえ遣(つか)わされたとしても、
(実際総てのキリスト者はつかわされてはいるのですが)
ヘビ、サソリを治めないで、逆に彼等悪霊に支配されている
としたら、その「遣わされ」にどんな意味があるでしょう。
まとめて言うと、
キリスト者には(少なくもこの地上では)
神の子・キリストに「なり代わり」、三で一の神を「代表して」
ヘビとさそりを従わせる役目が与えられている、
と言えるのです。これは「エライこと」には違いありませんが、
明らかな聖書の主張です。
*
ピリピ2の10,11も同じ効果(こうか)があります。
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