昨日オソルオソル小さな電気工事をしてみました。
どうして普通の電気コードには必ず線が二本
入っているのかが70歳になってようやく分りました。
天(電源・遠い発電所)から流れて来る聖霊は、
私たち(エクレシア)の霊(発光器具)を経由してまた天に
帰って行き、そしてまた地にいる私たちに戻って来るという
瞬間的・永遠のサイクル・循環(即ち交わり=礼拝)のため
なんですね。
即ち、線が二本入ってないと、天地にまたがる
「巨大な一つの輪」(これがエクレシア)を形成することが
出来ないからです。それは往復用であり、
無限にくりかえす交流のためです。
★ある対話★
ルシファーは限度を越えて、自分を高くしようとするトンでもない
不法に陥り、自らを無限に落下させる原因をつくりました。
不法(的外れ)があれば、それが堕落であり、必ず墜落に
至ります。(この二つの漢字・堕落、墜落はよく似ています)
しかしイエスはただ、みこころ(神の喜び)のために、
自らを低くされた(ただ死のみでなく「十字架の死」に至る
までも)ので、神は彼(人の子)を無限に高くされました。
全聖書を通して、上記の二者をクリアに対比(コントラスト)させ、
それを全被造物に見せることに神の深い深い意図があるようです。
Aさん:今日はなぜか「敵へ放つ神の言葉」が止まりません。
アーメンです。時間の中では
私たち(やはり人の子)の口から発せられる神のことば
(真理と命と光)は一回一回「ウソと死と暗黒によって生きて
いるサタン」を少しずつ後退させ、遂には落下(裁きの執行)
に至らせるのだ、と思います。
このことは深い神のみこころと完全に合致するので
(神のアーメンがあるので)あなたの霊の中で、
「真理の宣言」は止まらない、と感じられるのでしょう。
私達はこの世で、神のアーメンがある「小事」を
日常生活の中で淡々と行って行けばよいのだと思います。
*
シンク(台所の流し)の上のライトが、スイッチ・オンで
パッと灯った瞬間は、嬉しかったですねー。
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