ギリシャ語原語によると、新改訳聖書で虫けら
と訳された言葉は、成虫ではなく、幼虫時の、はう虫
を指しているようです。
自分を虫と言ったのはダビデとイエスです。
有名な詩篇22に「私は虫けらです」と言っています。
ギリシャ語の注解には、この言葉は女性名詞で
「崩壊の原因になるもの」と説明しています。彼等は
一体何を崩壊させるのでしょうか。
またイザヤ41の14で神は、恐れるな「虫けらヤコブ」
と言っています。この英語訳は「O,worm.Jacob」です。
だから神の民とは、一つの意味ではそのような虫であり、
明らかにこの世ではバカにされる存在です。
ヨブ記13の28では
「虫に食われた衣服」が出てきます。(a garment that
is moth eaten )この虫は原語ではガですが
ガが衣服を食べるのはやはり幼虫の時です。
しかし青虫や毛虫のような真にみにくい生き物でも遂に
成虫になる時、全く新しい、第3次元の世界に飛び立って
行きます。
またイエスは「虫が食い、サビがつく」この世の宝の
ことを言っていますが(マタイ6ノ19)この虫も原語では
ガです。それも「布を食べるガ」だそうです。当然
ここで虫と呼ばれているものも、古い衣服に微小な穴を開ける、
めったに人の目には 触れることのない、とても小さな幼虫達
を指していることでしょう。
上記のヨブ記13章の「衣服」は、どうしても福音書の
イエスのことば「新しい布で古い衣服にツギはあてない」の
「古い衣服や新しい布」を連想させます(マルコ2ノ21等)。
しかし 生まれながらの人は、間もなく古びるこの衣服の
中で生きざるを得ません。
所がイエスはその古い世界に、新しい天からの布で ツギを
あてがうような一時しのぎの改善はしないと言っています。
しかし将来、私達は全き状態において
「もはや永遠に古びることのない新しい布」でおおわれて
生きることでしょう。しかしその事実は今すでにin
Christ(キリストの中にいる)という状態において
開始されていなければならないはずです。
この布はまた、ペテロの前に四隅をつるされて天から
降りてきた「汚れた生き物」即ち生まれながらの様々な
人間、を入れた布を思い出させます。
その時、神はペテロに「ほふって食べなさい」と
言われました。ほふるとは十字架を暗示しており、
その意味は、布の中の生き物(人)は必ず処理され
(十字架の死を通り)エクレシアの中の交わりに入るべきである、
ことを意味するのでしょう。
当時のペテロやユダヤ人達にとって、そのような様々な人々を
受け入れることは相当困難な「神のみこころ」であったのです。
しかし感謝です、ペテロは神からの啓示に従い、そのような
「汚れた異邦人達」をも受け入れたのです。
また
「虫にかまれて死んだヘロデ王」の虫は「虫達にかまれた」
という形容詞一語で表現されているのだそうです。
(使徒12の24)この用法は新約聖書中 ここだけで
用いられているとのことですが ギリシャ語にはそんな
形容詞があるのかと不思議です。
さて
実際にヘロデを打ったのは「主の使い」でした。これは
黙示録で 悪魔を天から地に投げ落とすミカエルを
連想させます。
そうなると「ミカエルと虫達(複数)は天と地で 一つとなって
働く」という事実を見て取れるのですが、虫たちの役目は、
地上をはいまわり、古い布ぎれに 微小な穴を開けて、
天の光を地上に導入する事ではないだろうか、
と考えると これは素敵な想像ではないでしょうか。
以上、虫と訳された語は、同じ一つの原語からでは
ありませんが、全部「はう青虫状の虫」(幼虫、幼い虫)
を指しているらしい、というのは 面白いことです。
その虫とは、地をはうように生きる、寄るべなき私たち
(赤ちゃん)のことかも知れません。
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