これはギリシャ語のことばで
προσκυνέωです。
これを英語的に書くと、proskyneo(プロスキネオ)で
新約聖書に52回も出て来ると言います
その語源的な意味は
「犬が主人の手をなめるように、キスすること」
だそうです。キスするです!
これをクリスチャン的に言いかえて見ると
「敬愛をこめて、主にとても親しく触れること」であり
簡単に言えば「主に対する愛と接触」です。
すなわちプロスキネオには
「神への真の愛と実際的なタッチ」が
どうしても必要なのです
聖書の訳者達は
これを多く「礼拝する」「拝む」と訳しています。
あえてその訳は間違っているとは言えないでしょう。
しかし確かに言えることはこうです:
キリスト者の「主に対する真の愛とタッチ」は
目には見えない心の中のことであり「神へのキス」は
極めて貴重な「霊的な」経験です。それは魂的、
肉体的、物質的なことではありません。
いずれにしろ、
プロスキネオがそのような意味なのですから、少なくも
「一つの時間と場所を定めた形式的行為」を高くかかげ、
それを特別あつかいにして、プロスキネオと呼ぶのは、
どう考えて見てもムリのようです。
永遠の滅亡から救い出された罪人として
神への礼拝(プロスキネオ)すなわち
「敬愛をこめて神の手にキスすること」は私達の
「24時間の経験・姿」でなければならないはずです。
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