真理・事実・神のことばは、
私の「気分や機嫌(きげん)」とは
全く関係がありません。
私の気分がどうであれ、
太陽が西から昇ることはありえません。
私の機嫌と関係なく、地球は太陽のまわりをまわり、
太陽は必ず東から昇ります。
そのように神の真理・キリストの達成は、
私の状態とは関係なく常に一定不動です。
さて、
サタンはその神の真理を
「人が知り、それだけでなく次にそれを表明すること」を
恐れます。(世界の歴史をも変えるのは、第一に人の
小さな口です、ガリレオの時のように!)
サタンは、真理が「そこにあるだけでは」恐れません。
それは「悪をさばく立派な法律があっても」
誰もそれを口に出して抗議しなければ、
悪人は全然恐れないのと同じです。
今サタンは安らかです。なぜなら、
サタンの悪事を糾弾(きゅうだん)し「サタンへの
神の裁(さば)き」をオオッピラにする人がどこにも
いないからです。(人は人を相手に戦うだけです。)
実はサタンは人間を自分の子分だと思っています。
だからもしも、ある子分が、悪から足を洗い
法律を手に取り、立って(気分に打ち勝ち)
条文を声高らかに宣言するならば、
彼は相当アワテふためくでしょう。
これがキリスト者の戦いです。
*
旧約聖書ヨブ記に
「地動説」を暗示する記述があります。
「神は・・何もないところに地球をかける(つるす)」
(26の7)神によって何もないところにかけられたのですから
地球は空間に浮かんでいる、のではないでしょうか。
0 件のコメント:
コメントを投稿