*ある兄弟のことばから*
ヨハネ19:30で
イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、
「完了した」と言われました。
この完了したとは、
永遠における贖いの完了と
サタンの究極的な滅亡を意味しているのでしょう。
だから最後に酸いぶどう酒を受けられたのです。
「永遠において完了された御わざ」の実際を
今度はこの地(世)に引き出し表すべし、という
クリスチャンの役目を感じるこのごろです。
*
アーメン、感謝です。
死刑の執行(しっこう)の苦しみの最後に
「完成した」などと誰が言えるでしょう。
そうです、
「悪魔の滅亡のための業が総て完了し」
「御父のみこころが、あますところなく達成された」
という、それは深い深い御子の満足を表現しているのです。
一億分の1でも、不安があったとするならば
絶対に彼はそうは言われなかったはずです。
完了したということは、さらに
その後、イエスが神によって復活させられ、
さらにみ座に座され、御父と共に
心から安息(あんそく)された事実を見ても分かります。
かりにそれが失敗であったならば、
彼は黄泉に留めおかれたはずです!
神の御業の最重要局面において、不完全さ、
あいまい、中途半ぱなどは絶対にありえません。
天における「御父と御子の今現在のお姿」は
彼の十字架が完ぺき完全な成功であった、
ことを証明しているのです。
彼は神の子、
あの十字架における最後の小さなことばは
真実のきわみであったことを
私達は信ずべきです。
「悪魔よ、
あなたはあの十字架上で完全に滅亡した!」
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