これは主イエスが
ご自身とキリスト者の経験に関して
「一粒の麦」にたとえられた現象です。
その麦のカラとは人の魂であり、そして
カラの中の「死を通過してさえ破壊されることのない成分」とは
人の霊と一つとなられた「聖霊」です。
当然この発芽現象とは「キリストの復活」に他なりません。
旧約聖書において キリストの復活は
祭壇(さいだん)の上にしばられ 強力な神の火の
加熱によって焼きつくされた生き物が 煙となって
天にかけ上り 神のための芳香(ほうこう)となった煙、
すなわち死を経過(けいか)し、今は悪魔を足の下にし
総てのものを超越(ちょうえつ)した存在、
として描(えが)かれております。
またイエスに加えられた死の圧迫はパプテスマの「水」等
によっても象徴(しょうちょう)されております。
聖書の全編(ぜんぺん)において 水と火は
総ての旧(ふる)きものを死に至らしめ終わらせ、その様にして
「朽(く)ちることのない永遠のもの」を導入するための
神にとって極めて重要な手段(しゅだん)
であったと言えるでしょう。
もしもそうであるならば、今日でさえ
私達が 日々自分の実生活において
真に「キリストにある死」を経(へ)ているのでなければ
私達の経験において、真の命の発芽現象は存在し得ないでしょう。
2 件のコメント:
中国や他の国で、キリスト教徒の数が、すごい勢いで増えているのを聞くと、嬉しい反面、なぜ日本でも同じことが起きないのだろうと、いつもがっかりさせられ、心が痛みます。人が亡くなることを聞く度に、多くの場合、魂が永遠の死に移ってしまったのが、悲しいです。
今は、ただひたすら耐えて、主の救いの時を待つしかないのでしょうね。日本のキリスト教徒が、主と共に死んだ者であることと、主と共によみがえった者であることを深く覚えることができるように、目が覚めるようにと祈らされます。
Sugarさん、霊的な分かち合いをありがとうございます。
中国の兄弟姉妹の様子を
思うたびに
自らの姿、来し方に恥じ入ります。
神の憐れみが
私達の祖国と同胞の上に
豊かに注がれますように。
そしてまた
大きな祈りが日本の為に
起こされますように。
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