その戦いを通して 彼が神の備えを見出し 聖霊を真に主とし、
命とする秘訣(ひけつ)を体得するならば、彼の霊をして自分の
体と魂の機能(きのう)を総て支配下に置く「霊の人」
(Ⅰコリント2の15)の実際が彼から現れて来ることでしょう。
その時点から 彼は初めて実感として 霊的な世界の実在(じつざい)を
知ることが出来ます。その時、彼は必ず その霊的な世界の中に身を投じて
行かねばなりません。彼は「霊対霊の」戦いの生活、即ち「彼の霊」対
「神の敵である諸々の霊」との戦いの生活に入って行くべきです。なぜなら、
それこそが神とエクレシアのための真の戦いに他ならないからです。
この「霊の人」の生活こそが 神と人のために その生涯を通し
人として最も過酷(かこく)な戦いの日々となることは明白です。
「私たちの戦いは・・もろもろの悪霊に対するものです。」
(エペソ6の12)
まとめると、人生から
絶対に取り除くことが出来ない戦いというのは
1肉の人による 自分の肉体の中にある「罪との戦い」↓
2魂の人による 自分の魂の中にある「自分との戦い」↓
3霊の人による 霊としての自分 対 悪霊との戦い
と言う三種類の戦いです。
結局 人と生まれたからには 私たちの人生に 戦いを回避(かいひ)
することは終生(しゅうせい)不可能であると言えそうです。
(避けられない戦いから中途ハンパに身を引くことは
最大の悲劇を意味することは明らかです。)
*
今日はナンだか いやに「すさまじい話」になってしまいました。
でもオチョアさん、決してガッカリしないで下さい。
今晩はほとんど触れませんでしたが、
神は私たちのために、イエスキリストの中で 以上三つの
戦いへの圧倒的勝利の道を既(すで)に備えて下さっているのですよ。
ですから、
もしも人生に戦いがどうしても避(さ)けられないものであるならば
私達は「より高いレベルの戦い」を望むべきであることは明白では
ないでしょうか。でもその話はまた次回と言うことにしましょう。
それでは今晩は 上のロフトでゆっくりとお休みください。
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