「私の中にある敵の要塞(ようさい)」
が今の私の一つのテーマです。その意味は・・
いまだに私の中には かねてから(未信者時代からさえ)
敵が占拠(せんきょ)し「そこを神に奪われないように」と
神の敵が死守している「古い場所」がある、と言うことです。
その場所、敵の要塞こそ私の「思い」です。
真のキリスト者であるならば、その人は当然 永遠にそして
完全に救われています。しかし、経験的に言って この時空の中に
おいては「私の思い」はまだ完全に救われているとは言えません。
なぜならば今日 私の思いは 聖霊への完全な服従の中で機能(きのう)
しているのではなく、勝手に良からぬことを思い、想像し、推論している
からです。それは私の中の大きな不法と混乱であり、無秩序です。
そこでは確かに敵が私を占有しているのです。ですから思いに関する限り
神の国(神の支配の領域)は私の中にまだ十分には到達していない、
と言わなければなりません。ですから真の問題は「よからぬ思いが出てくる」
などに留まらず 問題は 私の中の混沌(こんとん)と無秩序であり 敢えて
言えば「神への反逆」です。これは今現在の宇宙の縮図と言えるでしょう。
私の思いが 私の意志と聖霊に完全に服従し 思いが正常に機能する
ためには 思いが古い占有から全く新たに自由にされる必要がある と
エペソ書は言います(4の23)。聖められた私の意志に完全に服する
私の魂と体が存在して初めて 私はこの時空の中においても
完全な神からの救いを「経験している」と言えるのです。
今日 経験的に私達はコリント書にある「私達の戦いの武器」の
使用法の詳細を日常生活のレベルで知り 敵の要塞を
実際的に打ち破らなければなりません。(Ⅱコリント10の3~6)
私達は「このすばらしい永遠の救い」が「与えられた」or「持っている」
に留(とど)まらず、その救いを この時空とこの私の体の中で
十分に経験する必要があるのです。それこそ、今私達が敢えて
「この時間と肉体の中に」置かれている理由です。
「今の時(今という時間の時代)を生かして用いなさい。」
エペソ5の16(口語訳)
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2 件のコメント:
この時期に花粉症ですか。私はひたすら閉じこもっていたので、けっこう軽かったのですが。でも、まだ外をジョッギングする気にはなれません。
「敵の要塞」ですね。神に敵対する私の思いの内なる「何か」。これは地上の生活が続く限りの課題なのでしょうね。
いまどきねー。
今私は「思いへの敵の占拠」を
一つ一つ調べ
対策をこうじなければ
と思っております。
それは
具体的に実践する必要がありそうです。
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