2010年3月1日月曜日

礼拝は行為でなく 霊の態度・状態です(2)

*父が求めておられる礼拝*

それでは、
幾つかの「異種類の礼拝」を見てみましょう。 
①悪霊達による礼拝(マルコ5の6、ヤコブ2の19) 
何とサタンの手下・悪霊達も真の神キリストを礼拝するのです!
②イスラム教徒の礼拝 ③ユダヤ教徒の礼拝
④「命の書」(黙示録20の12)にその名を記されていない、
即ち 実のところは救われていない「キリスト教徒」の礼拝 
⑤大艱難時代に 天使によって宣べられる「永遠の福音」を聞いて 
殺されることもいとわず「獣」(けもの・反キリスト)を拝むことを
拒否し、真の神を拝む人々の礼拝(黙示録14の6、7)です。

以上5種類の礼拝はおもに「絶対者である神の裁きを恐れるので
何とか神をなだめようとする」行為であるとも言えるでしょう。

以上の5者の中では⑤がベストであり、それは神が是認(ぜにん)される
礼拝です。なぜなら その礼拝者達は神によって「ある救い」の中へと
もたらされるからです。(しかし恐ろしいことに①から④の礼拝を
神は決して是認されることはなく、また
神のいかなる救いとも関係がありません)

しかし、聖書によると この⑤の礼拝者達とて 神聖な命をいただき
「神の子達」とされるわけではありません。その礼拝でさえ
「霊の中のキリストによる礼拝」とは異なります。従ってこの「ベストな
礼拝」もあの「父が求めておられる礼拝」には該当(がいとう)しません。

従って
真の礼拝、父が求めておられる礼拝とは 神と人にとって
実に貴重なものであり、それは「神の裁きを恐れ 神を伏(ふ)し拝む行為」
を遥(はる)かに超(こ)えたものであるはずです。

私達は①から④の礼拝を見て、自らを慰(なぐさ)め、
彼らと同類の礼拝を捧げるべきではありません。私達の礼拝は
完全にあくまで「霊と真」によらなければならないのです。

1 件のコメント:

陽子 さんのコメント...

アーメンですね
何度も読み返し聖書をの箇所を
調べて納得して書いてます
霊と真の礼拝をお捧げ出来る
特権を与えられて居る事に
感謝します