2010年2月13日土曜日

キリストの信仰

神は

キリストという「ただ一つの入れ物」に
古い創造の総てを入れこんで、キリストを死なせました。
これは「万物と万事」にとって「一巻のおわり」となりました。 

しかし、三日後、
神にとって必要なものは キリストと共に「復活という形」で
よみがえりました。これこそ「神わざ」でした。
絶対にあり得ないことが起こったからです。

以上が神の方法であり、
「永遠において」はそれは既に完成しました。


ところが、私達は まだ時間と空間の中にいます。
時間と永遠の間には大きな淵(ふち)があり
上の①と②の効果は時間の中には決しておよびません。

しかし神は信仰という
「永遠を時空に導入できる機能(きのう)」を
人に与えられました。それは「キリストの」信仰です。

ですから人が「キリストのうながし」に協力(きょうりょく)し 
その信仰を動かして 永遠の事実を信じる時に 
人の霊の中の信仰(キリスト)を通して
永遠の事実が 時空の中に及(およ)ぶと言う
あり得ないことが起こるのです。なぜなら、
キリストは永遠と時空を連結するハシゴだからです。

イエスやパウロが
信仰をとても高く評価(ひょうか)する理由が
そこにあるのです。


ローマ3の26、ガラテヤ2の16、3の22、エペソ3の12、
ピリピ3の9等 総てキリスト(御子)「の」信仰です。
信仰の源は完全にキリストにあります。

1 件のコメント:

Salt さんのコメント...

全くアーメンです。

人の信仰ではなくキリストの信仰。

信仰の創始者であり完成者。

神の人の唯一の仲介者。

この方だけが栄光を受けるにふさわしいただひとりの御方です。

この最も大切なことを、そのまま正しく伝える者でありたいと願っています。