神は
①
キリストという「ただ一つの入れ物」に
古い創造の総てを入れこんで、キリストを死なせました。
これは「万物と万事」にとって「一巻のおわり」となりました。
②
しかし、三日後、
神にとって必要なものは キリストと共に「復活という形」で
よみがえりました。これこそ「神わざ」でした。
絶対にあり得ないことが起こったからです。
以上が神の方法であり、
「永遠において」はそれは既に完成しました。
*
ところが、私達は まだ時間と空間の中にいます。
時間と永遠の間には大きな淵(ふち)があり
上の①と②の効果は時間の中には決しておよびません。
しかし神は信仰という
「永遠を時空に導入できる機能(きのう)」を
人に与えられました。それは「キリストの」信仰です。
ですから人が「キリストのうながし」に協力(きょうりょく)し
その信仰を動かして 永遠の事実を信じる時に
人の霊の中の信仰(キリスト)を通して
永遠の事実が 時空の中に及(およ)ぶと言う
あり得ないことが起こるのです。なぜなら、
キリストは永遠と時空を連結するハシゴだからです。
イエスやパウロが
信仰をとても高く評価(ひょうか)する理由が
そこにあるのです。
*
ローマ3の26、ガラテヤ2の16、3の22、エペソ3の12、
ピリピ3の9等 総てキリスト(御子)「の」信仰です。
信仰の源は完全にキリストにあります。
1 件のコメント:
全くアーメンです。
人の信仰ではなくキリストの信仰。
信仰の創始者であり完成者。
神の人の唯一の仲介者。
この方だけが栄光を受けるにふさわしいただひとりの御方です。
この最も大切なことを、そのまま正しく伝える者でありたいと願っています。
コメントを投稿