2009年7月31日金曜日

魂からの愛(3)

愛とは何でしょう。確かにそれは一面、誰でもが(動物さえも!)
容易に感じることが出来るものです。しかし他面そこには極めて
奥深いものがあります。(確かに愛にはいくつかのレベル、或いは
「本質的な相違」があるようです。)

先人の「魂からの愛」に関するシビアと見える言葉は続きます。彼は
今それらの愛の中でも 最高度の愛「神の愛」への言及に際して、
私達が容易に陥りがちな一つの誤解に敢えて触れつつある
と思われます。もう少しお付き合い下さい。
次回から次なる論旨へと入る筈です。

☆     ☆

主イエスの苦難は今日の信者の心の中で いかに無力になっている
ことでしょう!彼らが主の苦難について語る時、実の所「自分達こそ
主を愛しているのであり、他の人たちとは比べる事が出来ない」
と誇っているのです!これらのことについて語る最中
彼らはあたかも天の民のように見えるのですが・・。

しかし、彼らは実際には「哀れな自己」から少しも離れていないのです。
彼らの言葉を聞くなら あなたは彼らが非常に主を愛している
と思うでしょう。それどころか彼らを褒め賞賛するかも知れません。
ところが、実際は彼らは完全に自分自身を愛しているのです。

彼らは主を記念し、主を語り「主を慕い」ますが、その理由は、実は
それが彼らを幸せに感じさせるからです。彼らがそのように行うのは、
彼らの目的が「彼らの天的な幸せ感覚」を得たいからに過ぎません。
もしもそうであるならば、それは主のためではありません。
そのように主を記念するのは、彼らの「いわゆる霊性」を心地よく
感じさせるからです。

しかし、それらは魂に属し、地に属します。それらは「神から」
ではありません。従って決して霊に属するものではないのです。

★       ★

ケンが入院しました。
しばらくぶりで、今日山に入ります。小屋は無事でしょうか。

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