2009年7月26日日曜日

ただ神をのみ愛す

私達は本当に知らなければなりませんが、
私達はただ一人の人を愛し、ただ一人の主人に
仕えることが出来るだけです。
この意味は何でしょうか。

それは、
もしも私達が人を愛するのであれば、同時に
神を愛することは出来ない、と言うことです。
それ故、私達は
いかなる人との「秘密の関係」も絶つべきです。

ただ神のみが キリスト者の心を 
満足させることが出来るのです。
いかなる人間も、私達の心に
真の満足を与えることは不可能です。

非常に多くの信者が失敗するのは、
「ただ神の中でのみ得られるもの」を、
「人の中に」捜し求めるからに他なりません。

「人が与える愛」はむなしさ以外の
何ものでもありません。
神の愛のみが 信者の願いと満足とを
初めて完全に満たすことが出来るのです。

神の目から見るならば
もし人が神以外のものに愛を求めるのであれば、
彼の霊的状態は直ちに堕落してしまうのです。

人はただ神の愛によって
生きることが出来るのみです。


私のほかに、他の神々があってはならない。
(出エジプト20の3)

1 件のコメント:

千葉のM さんのコメント...

【ただ神のみが キリスト者の心を 
満足させることが出来るのです。
いかなる人間も、私達の心に
真の満足を与えることは不可能です。

非常に多くの信者が失敗するのは、
「ただ神の中でのみ得られるもの」を、
「人の中に」捜し求めるからに他なり
ません。】

魂の命によって造られたもの、思い、感情、感覚は記憶として脳の中や体の中に刻み込まれます。だからそれらのものは、それを思い出すことによって再現され、それを再度自分の中で再現できます。それらのものは、自分だけでなく、人の中に探し求めれば得られるものです。魂に属するものの特徴は、再現可能だということです。

一方、神の命で創られたもの、思い、感情、感覚は人間の脳や体に刻み込むことができるでしょうか?それを人の中から取り出し、再現することができるでしょうか?

神の命はキリストの中にだけ宿っているものであり、私たちの脳や体には保存できないものなのではないでしょうか。

魂の命は創られたものであり、この時空に属するものです。神の命は創られたものではなく、はじめからあったもの、天に属するものであり、この時空で創りだすことはできないものです。

神の命は徹底的な十字架の死を通してのみ、この時空に到来するものです。程よい十字架、程よい聖霊への服従、程よい願いでは絶対にこの時空に生かしだせるものではありません。