2009年7月11日土曜日

一つの実際的なアドバイス

もしキリスト者が内的に混乱しているならば「そのような時
神が彼を導くことはあり得ない」と言うことを覚えておくこと
だけでも益があるでしょう。これは多くの失敗から彼を守ります。

心が混乱し、感情が騒いでいるときに、決して何事かを決定
したり始めたりするべきではありません。もしもその感情の
おもむくままに行動するならばきっと間違えてしまうでしょう。


感情が混乱状態にある時には「思い」も信頼できません。思いは
感情によって大きな影響を受けるものです。一旦思いが弱くなると、
何が正しく何が間違っているかを見分けることが非常に難しくなります。

そのような時には、同時に彼の「良心」でさえ頼りになりません。
感情が乱れ、思いが欺かれている時、良心は正しいか間違って
いるかを正確に見分ける標準を失っているのです。

そういう状況においては、信者が何を決定しようと、それは
不正確になり、その行動はあとあとまで悔いを残す結果と
なるかも知れません。


感情の乱れを感じたなら、キリスト者は意志を用いて感情を
拒絶し、感情の動きを停止しなければなりません。
感情が揺れ動かなくなり、完全に静かになった時にのみ、
人は正しい決定をする可能性があるのです。

いずれにしろ、生活の中で信者は、なるべく自分の感情が乱される
ような事態を招かないように注意しなければならないのは
やはり当然のことなのです。


Sugar 私見:
再び「感情」の総論に戻りました。今ようやくその総論の
終わりに近づいています。

このアドバイスで言われているように、日常生活において
私達が「自分の感情をおさめようとする試み」は決して
無駄なことではないでしょう。
むしろ「霊によって感情を支配出来る」キリスト者であった
としても、絶えず目を覚まし、感情に対して目を配り続ける
と言う配慮は やはり欠かせない事ではないでしょうか。
「霊的な人になれば自分を放棄し、成り行きに任せても、聖霊が
彼の総ての責任を取り、自然にその人を霊的な状態に守られる」
などとするのは完全な幻想です。

3 件のコメント:

mopoopoo さんのコメント...

フェネロンも次のように言っています。
「過剰に感情を高ぶらせることなく、すべてのことを行ってください。自分が一生懸命になりすぎていると感じたら、すぐに神様の御前で静まってください。神様があなたの内側に何かを促されるとき、耳を傾け、神様が導かれるままに行動してください。このようにするならば、あなたの口数は少なくなりますが、あなたのことばはより効果的になります。あなたは落ち着きを保ち、より多くの善きことを成し遂げられます。」

Mr.Sugar さんのコメント...

もぶぶさん、タイムリーなコメント
大感謝です。

フェネロンは17世紀において、
カトリックの主教だった兄弟ですが、
進んで主の為に苦難を極度に受け、
またガイオン夫人とよく同労されました。
当時はカトリック内で迫害を受けた人々
によって多くの霊的な道が開かれた、
といいます。

確かに今日の 真の主の道が、彼らが
受けた十字架の肩の上に存在している
ことは言うまでもないことです。
ただ主を賛美するばかりです。

Mr.Sugar さんのコメント...

「愛知県のさっちゃん」さん、
フェネロンのものも、また紹介して
下さいませんか。