普通人の観念の中には、
「あの偉大な神の心が、人などに分かりっこないではないか」
と言うものがあります。私にもその「気分」は大いに分かります。
しかし、それはどうやら間違いのようです。
人は神の御心を知ることが出来ます!
その大きなスケールにおける神の御心から、何とあなた個人に
とっての大切な事柄、に関する神の御心までも。
さて、一般的に言って、
私達は相手の心や意志をどのようにして知るのでしょうか。
条件は二つです。先ず一つは、あなたが相手の心を知りたいと「真剣に」
願うことです。この点で、それが少しでもいいかげんなもので
あったり、単なる興味本位のものに過ぎないとするならば、相手は、
大切な自分の心の底を、あなたに明かすことなどあり得るでしょうか。
そんなことは不可能です。あなたが「心底知りたい」と思うこと、
これが条件Aです。
もう一つの条件はその相手が、彼の心をあなたに明かしたい、
と本当に思っていることです。
もしそれが無ければやはり、あなたが彼の心を知るのはまず
不可能でしょう。これも当然のことです。
これを条件Bとしましょう。
結論から言って、
この二つの条件の内で、問題になるのはAです。
実は、Bの方には問題が無いのです。即ち神は真剣に、あなたに
彼の御心を明かしたいと思っておられるのです。よく神を知って
いる人が言いました。条件Aが満たされたのであれば、神には
その心をその人に知らせる責務がある、と。即ちそれは
「神の責任」であると言うのです!どうやらこれは本当のようです。
聖書でも次のように言っております。
「神が・・御心にかなうことを私達の内に行い、あなた方が
御心を行うことが出来るために・・・」(ヘブル13の21)
ここには、キリスト者に対して「ゼヒ私の心を実行して欲しい」
という「神の篤い心」が示されています。もしもそうであるならば、
神は「それでは彼に、ゼヒとも私の心を知らせなければ」と切に
思っておられるに違いないのです。
あなたが真剣に神の御心を知りたいと願い、あなたの心を
真っ直ぐ神に向けることが出来るならば、即ち
あの条件Aをあなたが心から満たしさえすれば、
あなたは必ず神の心を知ることが出来るのです。
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