*御両家の皆様へ*
こんな用事をメールですみません。
お心遣い、本当に有難うございました。
*
ブログに書いた「wさんへ」は私達の真実な心です。
本当に不思議です。あの時以来、それ以前にはなかった、
「深く確かな安らぎ」のようなものが、
我が家をとても暖かく包んでいるようです。
そうそう、今思い出しましたよ!
16日に、ブログの「二つの不思議なメール」を
ジュンが読んでくれて、涙を流したことを。
そして18日、
病院に私達が駆けつけた時、激しい完全な即死にも関わらず、
何故か
ジュンの顔と体の表面に、転落の損傷が全く見られず、
全身、一筋の出血さえも無かったこと。そして、
その顔が、正にあの眠っているジュンであったこと。
(最初に手当に当たられた担当者が敢えて告げた。)
それは、
病気に苦しみ、汚れた生き物が
その病気を舐めているばかりのあのラザロをさえ、
人が普通に持つべき心の満たしもなく、神に対して何らの
功績も記録されることの無かった貧乏人ラザロをさえ、
アブラハムの懐に連れて行ってくれた御使いの、
きっと「その手の支え」であったのでしょう。
そのような、
ラザロのようなジュンの死でさえも
このエクレシアの中においては、
時空を超えて
霊の中における総ての聖徒達との
深い繋がりの中においては、これからも
少なからず、ある意味を持って行くのではないだろうか、
なぜか、そんな気さえするのです。
*
心からの神への賛美の中、
この感謝を御両家の皆様に送ります。
本当に有難うございました。
☆ ☆
ラザロ:
ルカ16章。このラザロはあのマリヤ、マルタの兄弟、
蘇生したラザロとは全く別人物です。
ラザロを舐めていた犬、ユダヤ教においては、
それは汚れた生き物(原文は複数)でした。
「ラザロの信仰」、それは一体どんなものだったのでしょう。
聖書はそれについて、直接には何も語っておりません。
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