この問題に人の頭脳が答えようとする、
それは一言「愚かです」と言うしかありません。
ですから、この問題への正しい、そして正直な反応は
唯一「分かりません」である筈です。
何故なら、人の頭脳はしょせん物質であり、頭脳が持つ能力の
範囲は「物質の世界」(いわゆる自然界)即ち、時空内現象に
限定されるからです。それでは、人の魂はどうでしょうか。
魂は明らかに物質ではない側面を持ちます。
しかし私達は人の魂とは、物質起源のものであることを
記憶しなければなりません。魂の基本的な特徴はこの世界に属する
と言うことです。(従って余談ですが、自然的な人が「魂の命」から
脱却することは極めて困難なのです。)
ジュンは今どこで何をしているのか、この質問は絶対に人には
答えられません。これは今シッカリと確認しなければならない
とても重要なポイントです。
*
しかしながらここに、
大いなる希望と逆転の根拠があります。
それは、
「初めにことば(御子)があった。
ことばは神と共にあった。
ことばは神であった。・・
総てのもの はこれによってできた」
と言う真理です。
「総てのもの」ですから、そこには時空とその中の万物も含まれる
はずです。ですから、ある日ある時、全宇宙は御子によって創造された
のです。ヨハネ1の1の「ことば」とは人に対して表現された神、
と言う意味です。(人もそのことばによってその人を表現するように)
神は「そのことば」(御子)によって万物を創造されたのです。
更に、コロサイ1の16によると、万物は「御子のなかで」創造された
とさえ言っております。何と御子は大きなお方でしょう!
従って真に偉大なのはこの御子であり、時空などではありません。
この広大な全宇宙でさえも、それはある時、神のことばによって、
神のことばの中で創造された、物質の一体系に過ぎないのです。
さて、もしもそのような神が実在するのであれば、
その神は当然、大いなる能力と知性をお持ちになる筈です。従って万物の
創造においても、そこには人では計り知ることが出来ない立案性、計画性、
そして芸術性さえあるはずです。ですから、この時空世界の創造には、
明確な目的があり、ある時に始まり、その目的が達成された日には
必ず終結を迎えるはずです。
*
ジュンは今どこで何をしているのだろうか?
それは、初めから神と共にあった「ことば」に聞けばよいのです。
それは「ことば」なのですから、これも私の「真実なことば」によって
その「ことば」にお聞きしようとする、真実な私の心さえあるならば、
その「ことば」は、むしろ直ちに答えようとして、私の「ことば」
(問いかけ、祈り)を待ち構えていて下さるのではないでしょうか。
しかしそうしないで、人の頭脳と魂、そしてその感覚の世界に、この
質問を投げかけそして、そこからの反応に不用意に触れ、受け入れて行く
ならば、それは必ず大変な時間の無駄となり、そして更に単に無駄である
に留まらず、極めて深刻かつ、底の見えない深い悲しみに「引きずり
込まれる」結果となるのです。(これについては後日触れる積もりです。
これは大きな問題です。)繰り返しますが、もしも万物を創造されたお方、
万物の前に「存在された」お方がおられるのであれば、その方にお聞き
するのが一番であり、むしろそれはとても賢いことであるはずです。
万物そのもの、即ち自然界については科学者に聞けばいいのです。
感謝なことです、私達は、彼の血と汗による何十年の成果を
一つの質問によって直ちに手に入れ、その恩恵に浴することが出来ます。
しかし、自然界を超えた事柄については、彼に聞くのはお門違いですし、
彼も困惑するばかりでしょう。しかしながら自分の頭脳や人の魂の感覚に
聞くことは更に愚かであり、それ以上に極めて危険であると言えるのです。
ですからここに至り、どうしてもやはり、このたぐいの質問は「初めに」
万物の前に「存在」されたお方、にお聞きする以外に他の方法は
全くあり得ない、と言う結論に到達せざるを得ないのです。
3 件のコメント:
そうですね。
それが最も真実な道ですね。神は必ず答えて
くださいます。菅原さんが心から納得される
ように、心になんの疑いも挟む余地がないほどに明らかにしたくださいます。反対に、もしそうしなければ 人生のなぞはなぞのままに終わってしまいますから。
有難う。
続けてお祈りください。
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